ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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歌謡曲のバンド編成のことを知らないことに気がついた。

昭和に歌番組を見ていると、歌が始まって題名、作詞誰々、作曲誰々、編曲誰々とテロップが入るのを見て、作詞作曲は解るけど何故編曲者の名前を出すの?ほぼ作曲者と同じじゃん、と謎だったんだけど、これは平成になって理由が解った。

テレビの歌番組でバックバンドは番組が用意するものなので、それに合わせた楽譜を用意しないといけないのですね。

TBS でやってた「8時だョ!全員集合」は舞台劇であって、大オーケストラがずっと伴奏するからそれに合わせた楽譜を用意しないといけない。

で、「ザ・ベストテン」みたいに歌手に合わせた伴奏を用意する番組になると、伴奏はピアノだけとか室内楽四重奏とかもあるんだけど、こういうのって番組が用意するのか歌手が連れてくるのか、どっちなんだろうね?

さらに謎なのがコーラスの存在で、ギター奏者キーボード奏者とかがマイクを立ててコーラスをやるのは解るけど、コーラス専門の人を二人三人並べるのって、デフォルトのバンドで存在するのか?

その歌手のライブでコーラスが歌っているのは歌手が呼んだんだろうけど、テレビの歌番組でコーラスがいるのって、番組が来てもらったのならディレクターが「この歌のここに、コーラスが入ったらステキだろうな」と考えてセッティングしているんだろうか?

吹奏楽の演奏会で、楽譜に・最初からコーラスを入れている曲ってあるけど、作曲者から編曲の許可をもらってコーラスを入れる人っているのかな?

昨日の続き

自己肯定感(今の自分を変えなくていいよね)と自己評価(自分達の演奏会有料だから来てもらうのはおこがましい)のバランスがあって、

一般的に「自分達の演奏は下手だ」というのは謙遜の範囲に収まるけど、

「自分はこれ以上、もしくはこれ以外のことをする気はなくて、全然上手くない」というのは謙遜に収まるか?というのは議論が必要で、

指揮者や指導者が演奏者に下手だと言い続けるのは当人の自己評価と一致するからいいんだけど、下手なことをその演奏者の人格に結びつけたりすると自己肯定感をゴリゴリ削るから辞められてしまう、

んで人数が少なくてとにかく誰であれ入ってもらわないと人員不足で廃部になってしまうと入れた人に、自己肯定感も自己評価も求めることは無茶なんだけど、入ったからには相応の責任を背負ってもらうというのは、学校の「教育活動の一環としての部活動:教育心理学」で考えても酷い。

で昭和平成の部活動は(令和の今は知らない)部員に際限ない向上心だけを求め、

「ぐちゃぐちゃ言うのなら上手くなってから言え」

という人間性を認めない姿勢があった。

今の時代そんなことはないと言われるかもしれないけど、今の学校吹奏楽部指導者に、メンバー一人一人の自己肯定感と自己評価をコントロールする接し方になっているのか?

指導とは

私は吹奏楽部を経験することで、日本の全ての問題の根本は、

部活動でたかだが一年間だけやっただけで、ただ進級したというだけの理由で

下級生指導をやらないといけないことだと思っているんです。

吹奏楽でいうならたかだか一年やっただけで吹奏楽とは何なのか、合奏音楽とはなんなのか、教育心理学も指導のやり方も何も教えられる解らないまま下級生指導をやらないといけなくなる、

一応の理由として

「ついこの間まで自分がどんな言葉をかけてやればいいか、言葉をかけられたかったかを覚えているうちにそれを下級生に」

てことなんだろうとは思うんですけど、また一方で

「下の者に舐められたら終わりだぞ」

なんて言われるから訳がわからないまま高圧的になるしかなくなる。

もちろん「いい先輩」てのがいるのは確かなんですが、それはその人個人の資質であって組織的教育の結果ではないからその人がいなくなったら途絶えてしまうのです。

これ、部活の下級生指導だけでなく、社会人としての新人教育でもそうですよね。

企業によっては管理職になるときに研修を受けさせるところもありますが、効果があるのかないのか、そういう会社で働いたことがないのでわかりませんが、

このことはもう何年も前からSNS に書いていて、明らかな反対意見というのは付きませんでした。

付かなかったから真相ってわけではないとも思っていますけど、今になって

「多くの人は自己肯定感と自己評価を混同しているのではないか」という指摘があって、なるほどこっちのほうが吹奏楽では説明が易しいなと。

自己肯定感は、一般的には幼少期から親から無償の愛を受けることで自分はこの世界にいてもいいんだ、という「親の無償の愛」以外には一切の根拠がないものと言われていますが、吹奏楽文化で考えてみると、

演奏が上手くない、はっきり言って下手だ、上手くなりたいかといわれたらそりゃ上手くはなりたいけど、難しいこと、困難な練習解決方法を言われたらそれは採用しない、でしょう。

私が高校生の時吹奏楽部でなくクラスでバンドやってる奴が

「音楽はスポーツじゃないんだから競うものではない」

とどや顔で言ってたんですが、そいつの真実はともかくとして、

「音楽は楽しければそれでいい」

というのは一つの考え、立ち位置としてあるわけですね。

これが自己肯定感です。

しかし演奏が下手であることが嫌で(自己評価が低い)なんとか上手くなりたいと頑張る人は、その努力の難易度が自己肯定感の低さになるわけです。

で、私がこのブログ、あと分かれちゃったけどサイトを始めたときに

「芸術スポーツって、何? 」エトワール・ブックスて本を手にしまして、

スポーツにも体操、新体操、シンクロナイズドスイミング、飛び込みなどのように、武道やバレーやバスケットボールとは違うスポーツがあり、美を追求する芸術スポーツてのがある、そこで世界的に有名な選手達は「勝ちたい」はありますが、それ以上に

「もっと表現力が欲しい!」を願っている、

自己評価が低いとか高いとかではなく、もっと高めたいと思っている。

(あとこのジャンルの人達って、会場で自分の前の選手が失敗すると自分もそれに引きずられるように思える、前の選手が成功すると自分も成功するように思えるので、案外蹴落とすとか他人の失敗を喜ぶなんてのは少ないという話もあったり)

あとSCAJ というコーヒーにまつわる博覧会みたいなイベントがあるんですが、美味しいコーヒーを入れる選手権てのがあるんですね、とてつもない才能を持った人がとてつもない練習、努力を重ねてトップを目指すんですが、そういう人達がサービスイベントで来場者にコーヒーを入れたときの味が、私には

「コーヒーなんて、好きに入れればいいんですよ!」

って感じるんですよ。

コーヒーが好きな自分という自己肯定感は高く、コーヒー選手権でトップを目指すという自己評価の低さが同居してるんじゃないかと思うんですが、

コンクールで万年地区大会予選敗退で、それでも心の中はともかく「ま、こんなもんでしょ」と練習方法や行動を変えようとはしない人達、

自己肯定感が高く、自己評価は低いというのが日本の吹奏楽の現状なのかなと。

自分が、自分の思うように演奏できるようになれれば自己評価も満足とすると

「これでいい、と思ったらそこで終了」

てのは呪いなのかもしれない。

「これでいい」と思えた人が今まで一人もいなかったとは思えないのだけど、その人は言葉を残していないんじゃないか?

改めて自分の立ち位置が自覚される

「らーめん再遊記」というマンガを読んで、原田編という章で

「才能は生もの、時間とともに減っていって、ついには無くなることがある」という感じのことが描かれていて、

なるほど、「好き」という感情や動機も生ものであって、どんどん減っていって、ついには無くなることもあるよな、となって、私がここに書かなくなっていることや、他のブログやサイトも更新されなくなった人は大勢いるのだから納得だし、努力して身につけた技術はそう易々と消えることはないよな、とあって、

読んだり話したりして吹奏楽にこれ使えるよな、というのは結構あるんだけど、でも書くことのほどでもないよな、と。

それでも古書サイトで吹奏楽や軍楽隊の資料がないかつらつら検索するし(借りパクされていた本が出ていた!売った人がいたのか、そいつが売ったか死んだかまでは解らないが興味がある)、NHK-FMの「吹奏楽のひびき」は毎週録音するようにしている。

でも今どんな曲があるのかは興味ないしなーという毎日を送っていたら、

YouTubeで哲学書、民俗学、言語学などの本を紹介しているチャンネルがあって、これがなかなか面白い。

どう面白いかというと、少なくとも平成が終わるまでそれなりの本を読んできた自負はあるんだけど、そこで取り上げられる本は平成昭和に紹介されたことはなかったと思う。作曲家も演奏家も、作家も評論家も教えてくれなかった新し世界が拓かれた。

私が見ている吹奏楽って、音楽としての吹奏楽ではなく、構造としての吹奏楽だ。

まぁ日本で吹奏楽やってる人の圧倒的多数は、そんなこと興味ないわな。

何故「このやり方では駄目だから、他のやり方でやろう」というトライ&エラーが行われないのか、そこを考えている人、いないでしょう、極論だけど。

上手くいかないのは「そういうものだ」から「みんなやる気がないからだ」とかそんなところに留まっている。

昭和からずーっと。

私のやりたいことも、なかなか難しいね。

コンサートホールって文化の発信源としてはブルーオーシャンなのだが

それはみなが「今のままでいいんだ」と思っているからブルーオーシャンなんだろうな、と。

久しぶりに堤清二/辻井喬についての本を読んでみたら、セゾン文化の精神を解説していたんだけど、

コンサートホールのロビーに演奏家のコレクションとか持っているアート作品を展示するのは

吹奏楽を(あるいは管弦楽を)親しんでいて、こういう暮らしをやってる者がいます。そのモデルケースが演奏者です」

というライフスタイルの提示になる。

コンサートホールがホールの歴史を展示しているところは多いけど、演奏家の一面を開示しているコンサートはあるのかな。

オーケストラが客寄せのためにポピュラーな音楽を奏でることはあっても一丁目一番地の大曲とは一線を画している、というかメインの曲にポピュラーを取り入れ参考にすることはあり得るのか

そこに藝術と日常の断絶がある。

演奏家自身の自己紹介、自分がどんなことに興味を持っているのかの紹介がその接点になるのではないか。

西武グループがグループとしては解体された今、第二の堤清二は現れないのは世がもう堤清二を必要としていないからかもしれないが、セゾン文化を学ぶことは、コンサートホールがブルーオーシャン、まだ誰もやっていなことに溢れている、演奏家が「自分の演奏の腕前とは関係ないことはやりたくない」と思っているうちは、まだまだ宝の山だと思う。

三十年前と全く変わったこと

こないだX でですね、

「私が推理小説の世界に足を踏み入れたのは、名探偵コナンあるいは金田一少年の事件簿からです」

という書き込みがあって、「私も!」「私も!」というレスが連なったんですが、プロの推理作家が驚愕したのですね、

その驚愕を罵倒とか否定と読んだ人たちが強く噛みついたんですが、私もその推理作家の側で驚いたんですよ、

私が幼少期のときって、児童書で推理小説、探偵小説の入門書がたくさんあって、名探偵の名を使った推理ショートショートがあり、推理小説のコラムがありと面白く、その子ども向き推理小説入門書を何冊も書いているベテラン作家もいたんですよ、

ところがこの件で調べてみたら金田一少年の事件簿1992年から、名探偵コナン1994年からで、平成が1989年からですから平成に入って児童書は推理/探偵小説の入り口ではなくなったのですね。

これはこれで衝撃だったんですが、半年前だっけな、某絵本作家の個展に行ったらその絵本作家に話しかけていた人がおそらく大学の准教授か講師だと思うのですが

「最近の学生はグリムもアンデルセンも知らず、ディズニーを童話だと思っている」と話していまして、なるほどバブルが弾けた1990年あたりに生まれた子どもが2010年に二十歳となり、そこから15年経った2025年に大学生になった人たちは、二重の意味で、

すなわち1990年代にバブルが弾けてワーキングプアとかシングルマザーが社会で語られるようになって子どもに寝入り話をする余裕がなくなった、さらに昭和後期はテレビが子育ての役割を持たされた時期だったけど、テレビが徐々に昔話を流さなくなった、だから二世代も経つとグリムもアンデルセンも知らず、ディズニーを童話、昔話として摂取するようになるのも自然な流れだなと、

でさらに最近、学校の授業も昭和とは変わって、音楽の時間に教えられる歌が唱歌童謡ではなくなってきたという話があって、

推理小説も、童話も、童謡も昔(昭和時代)の常識が通用しなくなってきていると。

じゃぁ、ですよ、

じゃぁ、令和も七年になった吹奏楽界で、ライトクラシックとか、セミクラシックとか、通俗曲とか、軽音楽と呼ばれていた一群の曲は演奏されているのでしょうか?

アニメソングやニコニコ動画発祥のボーカロイドの系統や、現代ロックとか(歌謡曲、なのか?)なんでしょうか?

 

いやね、私は吹奏楽の歴史を調べているうちに、バンドジャーナルやパイパーズを創刊号から全部持ってる人を知りましたが、その人達は自分の興味のある部分しか知ってること、調べたことを発表してくれないのですね、

だから私が「~の謎」として見つけたことを書いていたわけですが、軽音楽が駆逐されたんじゃないか?と気になったのがつい数日前で、歴史が変わった瞬間を見てなかったんです。

興味がなかったというか現状を知らなかったというか、バンドジャーナルを全巻持っていても特に深掘りはしない人たちもこうなのかなぁと。

若い人が「今はもう時代が違うんですよ!」というとき、その人は歴史に興味を持っていないんだよなぁ。

薩摩藩のこと

島津斉彬が「蘭癖大名」と呼ばれたほど西洋文化に興味を示していて、斉彬没後だけど薩英戦争後に薩摩が英国に接近して友好関係を結んだとよく言われますが、

文明開化といえば神戸と横浜、幕末の開港が神戸、横浜、新潟、函館、長崎、そして閉港させられてしまったけど下田とあって、何故薩摩/鹿児島がなかったのか、謎だったんですよ、

謎で、「なんで鹿児島には〝日本西洋文明発祥の地〟の看板が数えるほどしか無いのか(ゼロではない)」知りたくて大勢に聞いて廻ったら、

実は島津忠義が攘夷で、英国に接近したと言っても軍事技術などであって民生品は入れなかったって意見が多くて、

あと思い浮かぶのは薩英戦争で城下町が焼かれて再建におカネがかかったり人びとの意識では英国人にハードルがあったとか、戊辰戦争でおカネが必要だから西洋文明を受け入れる費用がなかったとかいろいろ考えられるのですが(そういえば薩摩藩自慢の尚古集成館は、薩英戦争で城下町が焼かれた中に入って再建されて、以降はあまり聞きませんね)、

なに、気がついたら簡単な事で、

神戸、横浜、新潟、函館、下田の五箇所は幕府の天領だったのですね。

幕末に豊かな藩は軍楽隊、鼓笛隊とか喇叭隊ですが持っていて、加賀藩→金沢藩とか、伊達藩→仙台藩にいたほどですけど、文明開化自体は、

天領は幕府の失権で豪商がやりたいことができたけど、裕福な藩はやはり藩主や藩士たちがいたらやりづらかったのかもしれません。もちろん横浜では攘夷派の焼き討ちなんてあって、保護も難しかった→リスクも大きかったことはあるでしょうけど、

鉄道の歴史、新橋横浜間は反対する人が多くて当時の海沿いを走らなければ行けなかったとか、西郷隆盛が最後まで反対していたとかあって、やっぱり殿様とか士族が力を持っているところでは抵抗があったんじゃないかなぁ。

しかし、気がついてみれば簡単な事でも、聞いて廻った中で「幕府の天領だったからじゃないか?」という人がいなかったのは、盲点なのかな。

ちなみに開国で開港した土地って山や坂が多いね、と言った人がいて、詳しい人が「山が高いから直下の海が深くて大型船を泊められるんだよ」と言っていました。

神戸は六甲山、横浜は野毛山(よりも今はフランス山と呼ばれている山の方が近いか?)、長崎は「坂の街」、新潟は…検索したら川が大きくて水の流れが強くて、海底の土砂を崩しているのだそうです。下田も山か。