クラシック音楽と非クラシック音楽
吹奏楽って今の時代はクラシック音楽に分類されているじゃないですか、まぁジャンル分けって別に法律とか科学で決められているわけじゃないのでサキソフォンを金管楽器に分類するんだって話がややこしくなるだけでダメってわけじゃないし、吹奏楽も昔はムード音楽に入れていた人もいたりで人によって違ったっていいんですが、まぁだいたいクラシック音楽に入れられております。
クラシック音楽と他の分野の音楽の違いは何かと言うといろいろあるわけですが、他の分野は大人になって、あるいは高校生あたりからでも独学だったり仲間内だったりで楽器をやるようになって、その人の才能次第では聴く人の心を震わせる、大勢を魅了する演奏ができても不思議でもなんでもないってのがあると思うんですけど、クラシック音楽はそうはいかない。
技術の習得がまず最初にあって、演奏を通じて言いたいことがあるんだったら技術を修めてから言えとか、技術を修めてから言いたいことを考えろとかがセオリーなわけです。
とはいえクラシック音楽をテーマにしている小説なりマンガなりは数多くあって、そうじゃないんだ、というエピソードももあります。
日本の音大でみっちり学んだ主人公がヨーロッパの地方都市に行き師匠に付くんですが、その師匠が中学生くらいの子どもがバイオリンを聴く、技術はつたないんだけどなかなかいい演奏であると。
「確かにこの子は技術はダメだ、しかし演奏を通じて言いたいことはもう完成している。技術の習得はここからだ」との師匠の言葉を聞いた主人公、(ふーん)で終わるんです。でその後この子がストーリーに絡んでくるかといえばそんなこともなさそうで、まぁそういうのがあってもいいよな、くらいのことなんでしょうし、私も読んで(そういう意見もあるんだな)程度で終わらせていたんですけど、
最近になって、これダメだろと気がつきました。
技術か感動かという二者択一の問題は昔から言われていますが、それ以前を気がついてみればあら簡単、
演奏技術の��癖�≠フ問題です。
他のジャンルは知りませんがクラシック音楽で最初に言われるのは、標準的な/理想的な演奏姿勢で、演奏するに当たっての姿勢、指、腕、体の重心移動で��変な癖がついてしまったら矯正するのは大変だ�≠ナありまして、多くの非クラシック音楽物語で歳いった主人公が楽器を始めてサクセスストーリーを歩むのって、��癖�≠ヌうしてんだよと。
確かに今の時代は多様性が尊重されていて、��癖�≠燒。なんだ個性なんだということかもしれませんが、クラシック音楽=吹奏楽ではなぁ。
続きを読むコンクール審査員のこと
「のだめカンタービレ」てクラシック音楽のマンガがありまして、完結して何年も経つんで(最終回は2010年17号らしい)今の若い人たち知ってるかどうか解らないんですけど、
主人公の一人千秋真一という青年は、指揮者志望でピアノもバイオリンもかなり弾けるんだけど、それよりも指揮者になりたいてのが最初の方なんですが、
能力が凄くて、指揮振ることになった楽団で意地悪されて、クラリネット奏者とオーボエ奏者だっけかが一フレーズ交換して吹いて「あれ?間違えちゃった!千秋解らなかったぁ?ww」ってやろうとするんですが、やった瞬間に指揮台からギロっと睨まれて(え!ばれてる!)と青くなるシーンがあるんです、
でも実際の指揮者の本を読んで指揮コンクールではそんなこと普通にあって、きちんと指摘できるかってのも審査基準に入ってるようなんですが(解っても指摘をできない人もいるんでしょう)、
日本の吹奏楽コンクールの審査員でそういう耳を持っている人っているんでしょうか?てか、いるんじゃないか?
私も高校生の時周囲にコンクールに反発してる奴がいてそいつが
「いい演奏よりも審査員の好みの曲や演奏をした楽団が金賞もらえたり上の大会に行ける」と言ってたんですが、いやその前に、千秋が審査員だったらただ「がんばりました!」て楽団が金賞もらえたり上に行けたりするわけねーじゃんと今になって気がついた。
後に千秋はフランスのルー・マルレ・オーケストラという管弦楽団の常任指揮者になりまして、団員に「練習!練習!練習!」と練習の鬼となったんですが(大学の楽団を指揮したときもそうだったけど味方がいなくて孤立した)、日本のコンクール予選で落ちる吹奏楽団が熱意と時間だけは立派な「一生懸命の練習」で千秋審査員からいい評価をもらえると思っているのかと。
それとも逆に、予選なんだからそんな厳しいことよりも「よくできました(銀賞)」でかまわないのか。
そこが全国大会常連校と毎回予選落ち校の違いなのかなぁと。
でも実際予選の審査員にそういう耳を持っている人がいるのかというと、よく解らない。
その人もわざわざ厳しいこと言わないしね。
振り返ってみれば簡単なこと
最近怪談の分野に足を突っ込んでまして、大別すると創作・収集の人と、朗読の人と別れていまして、私は怪談・創作がメインなんですけど、怪談の分野でも吹奏楽・軍楽で狽チた能力、いろ〜んな分野の知識で多面的な視点を持つとか、いろ〜んな分野の物の考え方を参考にするとかが続いているんですが、
これって一言で言い表せることができて、
観察力を養う
なんですね。
あー、と思う反面、日本の吹奏楽器演奏者って、演奏に役立つ「観察力」ってどれだけ教えられているのかなと。
私が高校生の時は全く逆で、他の団体の演奏を聴いたらその演奏に影響されて、自分自身のオリジナリティが採れなくなってしまうという環境だったんですが、それがローカルルールだったとしても、バンドジャーナルとかプロの視点とか他の学校吹奏楽部とかの交流でも、演奏に役立つ観察力って話題は無かったんです。せいぜいが自分の演奏をどう認識するかくらい。
合奏演奏だって「よく聴いて!」を言われて終わったし。
今ではどうなんだろう。
前田ただしさんがお亡くなりになったと
驚いた。
前田ただしさんは マーエダ というハンドル名でTwitterをやられておりまして、@tadashi_ec 私のブログも見ていてくださって、親しくさせていただいていたというかツイートを送ったら返事をしてくれる方だったのですが、うわー。
記事で「バイオリン奏者」ってあるけど、エクアドルの音楽文化の監督みたいな立場だったんじゃなかったっけ?
公演の進行だけでなく劇団や劇場の運営にも意見を持っていて、責任ある仕事をいていた。
東日本大震災のあと、前田さんが日本にいたとき通っていたお寿司屋さんがどうなったか心配で、Twitterで「誰か見に行ってください。その人のいうことを一つかなえます」みたいなことを書いていて、私が行ったんですよ。
お昼のランチタイムでご主人と少し話して、帰りしな入り口の写真を撮ってコレクションブログにアップして「何ごともなかったです」と送ったら喜んでくれましてね。
高校時代から考えていたメロディー、このメロディーは出来上がってるんですが和音もリズムもなにも、メロディー以外は全然作れないので、前田さんにその編曲をお願いしたいと思っていたんですが、言えないままになっていました。
他にも、南米コロンビアのブラスバンド文化を調べてもアメリカ合衆国のコロンビア州のページばかりヒットしてお手上げ状態だったときに前田さんがサイトを教えてくれたり、一度エクアドルに行ってお会いしたいなぁと思っても行けなかったりでしたが、あらまぁです。
合掌。
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