ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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日本で吹奏楽が始まった日は?

1989年に吹奏楽コンクールの某会場で、エライ人が

「9月15日に横浜の妙香寺で式典があります」

と言ってましたので、素直に(日本で吹奏楽が始まったのは9月15日だ)と思っておりました。

ここ数年は10月の連休中にやることになったらしいのですが、まぁそれは9月15日が敬老の日ではなくなったとか、事情があるんだろうなぁと想像しまして、本当の日は今日だと思ってましたんで、妙香寺に行ってきました。

んで帰ってきていくつかググって見ますと、きちんと15日と書いているサイトって、私には見つからないのです。

(ひょっとしてエライ人は便宜上15日にやっただけであって、本当は違うの?)と思い、何冊か本を開いてみました。

ほしたら、

山口常光氏の「陸軍軍楽隊史」初版18頁昭和43年11月15日初版では

伝習性たちが鹿児島を出発し、神田橋の島津(薩摩)藩邸に到着したのが二年九月とし、

「それから間もなく薩摩藩邸から横浜の北にあった妙光寺(妙香寺と書いたのもある。いまの「妙光寺」行の市電の付近か?)という寺に移って、いよいよ軍楽伝習を受けることになる。(このお寺は現存していないが、この付近の住民たちは、むかしこの妙光時界隈を「君が代横丁」と呼んでいたという。「君が代」作曲者フェントンに因縁があるのだろうかー)」とあります。

横浜に来た月日は不明。それにしても妙香寺は北部とは言えないような気もしますが、妙香寺は昭和2年に失火で、昭和20年には横浜空襲で消失してしまったとのことで、山口氏の著述以降に復興したのでしょう。

昭和48年4月30日の改訂・三青社版も記述同じ。

堀内敬三「音楽五十年史」私の持っているのは昭和52年6月10日初版の講談社学術文庫ですが、上巻16頁に

「折しも鹿児島から歩兵二大隊(大隊長川村純義、野津鎮雄)砲二座(隊長大山巌)が、朝廷の徴兵として海路上京、九月五日東京神田の藩邸に(三田の藩邸は焼亡したから臨時に移っていたのであろうか)入ったので、肝付は川村と野津に建言し、早速にその意見が容れられて、藩では上京した藩兵の中から二十名を選んで十月初旬横浜に派遣しフェントンから軍楽を伝習せしめる事としたが、後すぐにフェントンの意見によりこれは三十余名に増員された。」

とあります。横浜へは10月?

秋山紀夫 編「吹奏楽指導全集 1 吹奏楽の魅力」同朋舎116頁、1988(昭和63年)年9月30日初版には

1869「明治2年5月、薩摩藩士一等指図役肝付兼弘は、藩命により練兵法質問のため横浜英国歩兵隊に派遣され、11月まで大隊長ローマン中佐について勉強し、この間軍楽隊の行進を見て楽長フェントンに紹介され、指導を依頼した。同年9月、鹿児島から歩兵2大隊が天皇の徴兵として上京し神田に駐在していた。肝付はこの隊長に軍楽隊の伝習を進言した。すぐそれは受け入れられ、上京した藩兵のなかから20名を選んで10月初旬横浜に派遣し、フェントンに師事した。その後すぐ、フェントンの意見により30余名に増員された。」

とありまして、こちらも10月らしいです。堀内本を参照?

音楽之友社 編「最新吹奏楽講座 7 吹奏楽の編成と歴史」音楽之友社110頁、昭和45年8月1日初版には

陸軍軍楽隊の歴史として、「明治時代 軍楽隊の伝習 わが国軍楽隊の伝習は1869年(明治2年)9月から、薩摩藩士鼓笛隊員など30名が、横浜に駐留中のイギリス軍軍楽隊より約1年間教育を受けたのが始まりである。」と、陸軍楽隊の記述。

次いで126頁に海軍軍楽隊の歴史として、「最初の伝習性と西洋楽器購入 明治2年(1869)、薩摩藩主によって藩士鎌田新平を長とする30余名は横浜に派遣され、イギリス海兵隊(海軍歩兵とあるので)第10番隊隊長ローマン中佐付軍楽隊長フェントンについて軍楽の伝習を受けたのである。はじめは楽器もないので調練と信号ラッパを習い、本牧の妙香寺に移ってから読譜と鼓隊を習った。」

この時点では区別は無いんですけど、陸軍は9月表記、海軍の方は何月かは書かれていません。

音楽之友社 編「新版吹奏楽講座 7 吹奏楽の編成と歴史」音楽之友社118頁、昭和58年12月20日初版には

陸軍軍楽隊の歴史として「明治時代 (1)軍楽隊の伝習

 わが国軍楽隊の伝習は明治2(1869)年9月から、薩摩藩士鼓笛隊員など30名が横浜に駐留の英国公使館護衛の歩兵大隊付軍楽隊に通隊し、軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンに約1年間教育を受けたのが始まりである。」

あ、練習場所は公使館?の近く?ですか。妙香寺は宿泊&自習?

海軍の方は記述変わらず。

んで今日妙香寺からいただいた「日本吹奏楽発祥の地記念碑について」というパンフレット(制作年月日は不明)には、

「明治2年(略)同年9月、鹿児島から歩兵第2大隊が天皇の徴兵として上京し神田に駐在していたが、(略)上京した藩兵のなかから20名を選んで9月横浜本牧北方の妙香寺に派遣し、フェントンに師事した。」

…しーらない。

同朋舎の本が出版された1988年以降、最終決着が付けられたのなら何も問題はありませんが、私は知りません。まさか音楽之友社史観だから9月に決まったってことはありませんよね?

ともあれ、どの本にも9月“15”日とは決めていないようで。

ちなみに。

「最新吹奏楽講座」の132頁に、1910年6月の藤吉翁の「イギリス皇帝戴冠式に参列」の記述がありますが、陸軍の方では同じく1910年5月にロンドンで「日英同盟記念親善博覧会」があり、永井建子楽長を初めとする一隊が行っていたのですね。

こちらでもホルストの名は無いようで。