ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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テクニック&カリスマ

私は自分なりの方法で調べ、人と話し、考えているわけですが、

吹奏楽における組織運営や人間関係のドロドロが演奏に与えるマイナス要素の多くを占めているのに、吹奏楽クラシック音楽に携わっている人に相談を持ちかけても、

「それは“音楽”の話しではないね」

と、あっさり切り捨てられることにずっと違和感を覚えています。

音楽=演奏なのか?演奏に始まり聴覚に終わり、そのことだけを楽しむものなのか?

…今になって、あっさり自分で納得出来る文章化が出来てしまいました。

スメ[ツマンでも商売人でも政治家でもなんでも、功成り遂げて衆目に認められる人には、大体においてサクセス・ストーリーが語られます。

人生を双六になぞらえて「あがり」と喩えることがよくあります。

「あがり」に辿りついたところで、その人が死にもせぬ限りは現実の毎日は続くわけですけど、まぁ区切りとして。

んで料理に関する本を読んでいて(ようやく)気がついたのですが、

料理人にとっての「あがり」方は数々あれど、その中の一つに

「オーナー・シェフになる」

という「あがり」があります。フランスのグルメ・ガイドの「ミシュラン」なぞは料理の味だけで評価をするのではなく、ウェイターのサービス、調度品の具合、店隅々までの清潔度などなど、館の全てを評価して

本に記載しますが、吹奏楽クラシック音楽演奏家にとって、

「オーナー・バンマス(バンドマスター)になる」

という「あがり」は存在しないのですね。ジャズやロックにはあるかもしれませんが。

最高級と言われるレストランの料理長兼経営者は料理の質を保ち・上げながら、従業員一人一人の意識、皿一枚・コップ一個、床の上隅々まで気を配るのだけど、最高級と言われる演奏家は演奏の質を保ち・上げる以外のことは、社会人として普通のレベルで十分とされているから、

プロ奏者は全て最低限技術のお手本となる存在でなければならないが、

人を惹き付ける力はプロ奏者といえども個人的な魅力であり、

全てのプロ奏者が備えていなければならない、という類の力では無いわけだ。