ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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ある思考軸でいうところの「いろいろ」

私の吹奏楽人生というのは、一番始めがMax Power Musicでありました。

一曲最初から最後まで、Max Powerで吹ききるのです。

三部構成の演奏会の第二部の曲を

強→強→息抜き→強→強→強→息抜き→強→強→静

こんな感じで配置し、体力的にヘトヘトになる心地よさを音楽込みで楽しんでいました。(第二部はメドレーで10曲前後演奏です)

今ではもう年取って無理ですし、私の同期や近い先輩後輩達もいつまでMax Power Musicを楽しんでいたかは話したことがないのでわかりませんが、数年で飽きちゃったと思います。きれいな言葉で言えば「卒業しちゃった」んでしょう。

件p志向の演奏が音の硬軟や強弱だの、多くの組み合わせで豊富なバリエーションが可能なのに対して、Max Power Musicは、まぁ一本調子ですからね。私みたいに思考パターンが跳ぶ者でないと、いつかは

「もういいかな」

と離れていってしまうでしょう。

私も散々Max Power Musicを演奏してきました。そしてその次に考えたことっていうのは、Max Power Musicのために作られた曲(あるんですよ)を件p志向の楽団が演奏したら、どんな演奏になるだろう?であります。

けれども私が(自称)件p志向…というか、普通のバンドですな。

そういったバンドには4つしか所属したことが無いのですが、どこのバンドでも試奏もせず却下でした。理由は無し。Max Power Music Bandでの録音と楽譜持っていって、選曲の係りの人達に聞いて貰って、ミョーな顔されて「却下」という事実だけを告げられて、それでお終い。

私も演奏するメリットとして

「簡単な曲だから、そんなに練習がいらない。他の曲に練習時間を多く割けることができる」

「繰り返し聞くには堪えないかも知れないけど、ぱっと聞きには派手で面白い曲」

等と言うのですが、それでも駄目。

まぁ私自身も選曲係狙いばかりで、多くの一般団員に聞かせて大勢の賛同を貰う、ボトムアップ方式の努力をしていないから、あまり強くは言えないのですけどね。

その次に考えが跳んだのは、Max Power Musicの真逆の、Minimum Power Musicなんてどうだろう?です。

これの発端は弦楽器のリュート奏者の人から話を伺ったときで、こういうことを教えて貰えました。

「中世ヨーロッパの貴族たちがどう音楽を楽しんでいたかというと、実は現代の私たちがCDやウォークマンで音楽を楽しんでいるのと、さほど変わらない。

朝タイマーでCDを作動させて目覚めの音楽を聞く人のように、ベッドの傍に楽士達を座らせておいて目が覚める頃に演奏させるとか、食事やパーティーのときにBGMとして演奏させるとか。

気持ちいい目覚めとか食卓での団らんとかパーティーの社交中に、聞く人の邪魔をするような大きな音は演奏出来ないから、楽士達は小さな音、弱い音に腕前を発揮してプライドを保ったんだよ」

そしてさらに、

「本来リュートとはギターと違って構造的に大きな音が出せないから、石造りの反響の良い狭い部屋で、ほんの数人の人に聞いて貰う演奏で本領を発揮するんだけど、それでは経済的にやっていけないから廃れもするし、頑張りもするんだよ」

と話しは続くのですが、軍楽隊でも管弦楽団でも、大きな編成で大人数に聞かせる為に発展したという歴史がありまして、現代では聞こえるか聞こえないかギリギリの音の魅力には、ほとんど接することが出来ないんじゃないかと気がついたのですよ。

大ホールの客席隅々まで聞こえるppの音とMinimum Power Musicは別でしょ?

そこでMax Power Musicとは反対のMinimum Power Musicの魅力を吹奏楽で発揮することは出来ないかと考えまして、不満足ながらもアイディアを一つ生み出しました。(^^;)

けれども普通のバンドの人達は、そもそもMinimum Power Musicなんて発想もしないし、必要ともしないようで、実現するめどは全然立っておりません。(^^;)

私自身も「吹奏楽の可能性を広げる」→「吹奏楽の限界を知る」ための思考実験みたいなものだと思ってますので、あまり無理強いはしませんが。

…しっかし、クラシック音楽演奏に関する小説に

「ffと言ってもさまざまなffがある。爆発的なのもあれば雄大なものとか、堂々迫り来るものとか。ただでかく音を出せばいいというものではない」

という文章を読むことがありますが、Max Power Musicがその言説の手本として認められることは、ないのでしょうか。(^^;)