ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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病院とか、老人ホームとか(2)

平田オリザ氏の「件p立国論」集英社 2001年10発行の本の中に、

日本には、例えば生きる為に必要な「生活保護」という制度があり、健康の為に必要な「国民保険」という制度がある。

これらの制度は別に完璧なものではなく、欠陥や悪用も横行しているが、世界規模で見てみるとこういった制度がもともと存在しない国がたくさんある。

問題は山積しているとはいえ、このような制度があること自体は日本は世界に誇ってもよいと思う。

しかし、最低限生きる為に必要な金銭にまつわる制度と健康にまつわる制度があっても、人間が人間らしく生きるには、まだ足りない。

現代日本では年間三万人を超える自殺者がいるのに、生きる為の心のケアを目的とする制度が全くない、

という主獅フことを書いています。

中高年がリストラされ、経済的な不安もさることながら、社会人失格の烙印を押されたと捉えて死を選択する人達が多いわけです。

で…たしかこの本の中で、「件pは心の糧というのであれば、こういった人達になぜ今働きかけないのか」という文章があったと思ったのですが、今読み返してみるとそれが見つかりません…。

他の本だったかなぁ。

ちなみにこのエピソードは、稲垣吾郎氏主演のTVドラマ「ソムリエ」のラス前の回で使われていました。

失意のどん底に落ちているおじさんに稲垣氏扮するソムリエが「ワインを飲みませんか?」と勧め、場面が変わりその失業者がレストランから出てきて、

「もう一丁、頑張ってみるかぁ」と元気に進んでいくシーンがありまして、その回の最後に「ワインを冷やす仕事」で再登場してきます。

まぁ現代の童話、ご都合主義のTVドラマとはいえ、ワインと接する時が良ければ、それだけのプラスの結果になるんだというのがドラマ全般を通してのテーマでしたからね。それだけワインを信頼しているのでしょう。

で話しを戻して、平田氏の本に

職業安定所ハローワーク)に格安券を置き、失業に苦しんでいる人に劇場に来て貰う。そしてそのチケットの半券を実績として行政に提示すれば、ただ闇雲に「補助金をよこせ、助成金をよこせ」というよりは説得力があるはずだ、とそんな感じの文章があったと思ったのですが…。

創作者の視点で件pというものを語るときと、社会や一般大衆の視点で件pを語るのでは論点が違うことが多々あります。

その意見の摺り合わせが必要なのでしょうが、件pを必要としている人達の目線にきっかけを置こうという商業的な発想は、平田氏以外には見られません。

創作者が行政に物申すときは、まるで天下国家を論じるがごとく高い位置から偉そうに発言しますが、じゃぁその人が町内の、ご近所の人達と日頃から話し合いをして、町内会や区庁市庁に物申しているかと言えば、そんな努力は見られないわけです。あるとこにはあるのかな?

で次。

永六輔氏の「お家繁盛 町繁盛」KKベストセラーズ 2000年7発行の本に、

永氏が三波春夫氏と一緒に歌を作り、老人ホームをあちこち廻っていく話しがあります。

レコードで歌を聴いていた人達が歳をとるのと同じくして、時代(科学技術)も変わって、機械や媒体がレコードからCDに替わった。

実は三波氏の歌を喜んで聴くような人達、CDをかけることが出来ないのではないか?だから演歌や歌謡曲は(CDの売り上げが激減して)廃れてきたのではないか?と

永氏は考えまして、お年寄り達が歌える歌を作って、出来る限り出前をしようと発想しました。

三波氏もその話に乗りまして、あちこちの老人ホームを巡っていくうちに

とある老人ホームの担当者から、

三波春夫さんに歌って貰うのはとてもありがたいし、お年寄り達も喜んで待っています。けど、一人だけちょっと難しいお婆さんがいます。

そのお婆さん、毎日毎日一日中、ず〜っと歌を歌っているんです。

そのお婆さんにも三波さんの歌は聴いて貰いたいのだけど、ひょっとして三波さんが歌っている間もずっと自分の歌を歌っているかもしれません。

それがまずければそのお婆さんだけ広間に呼ばないことも考えてるのですけど、どうでしょう?」

永氏がその話を三波氏に告げると、一言

「私の声の方が大きいでしょう」とお婆さんを広間に入れることを承諾。

そして当日、永氏が前説をやっていると、問題のお婆さんがず〜っと歌っている。大丈夫かなと不安になったけど、三波さんがいいって言ったんだから、このままやっちゃえと袖に引っ込んだ。

そして三波氏が舞台中央に進み…

この結末は本を読んでください。(^^;)

そして…今年2004年5月、東京の某交響楽団がシンャWウムを開き、その中で天下国家を論じるんですよ。

「では・なら教」の教えを振りかざして、文化や国際的体面や歴史を持ち出して、自分たちの楽団がいかに必要な存在なのかを主張していました。

んで私が手を挙げて、

「お上のことはともかく、実際に税金を納めている都民ってのは、楽団員のご近所の人達であったりするわけですよね。その人達とか、病気やら失業やらで、心の糧としての件pを切実に求めている人達に対して、どんな働きかけをしているんですか?」

と質問したら、黙られてしまいました。

間があって、「…病院への慰問演奏とかしてます…」と返事がありましたが、時間も限られているので私もそれ以上の追求は控えました。

でも「冥土の土産にこの楽団の演奏でも聴くか」という人が客席にいたら、その人に胸を張れる演奏をしているのかという、天下国家の視点ではない、地べたで苦しんでいる者の視点の提起は、他の客席にいた人達に、少なくとも反発はされませんでした。(私の隣に座っていた人、三善晃氏にとても似ていたのですが…まさか…(・_・;))

日フィル争議の時にはそういった人達が日フィルを支援していたと本で読んだのですが、この2004年の現代、そういう事をはっきりと口にする人は、あまりいないのでしょうか。

吹奏楽は…お金と時間に余裕のある人が嗜む、趣味の音楽なのかなぁ。

機会があればシエナにそこのところを聞いてみたいものです。