実用音楽の「実用」って?
吹奏楽をブラス・バンドからウィンド・アンサンブルにしたい人達の中で、よくこういう言葉を聞きます。
従来の吹奏楽は実用音楽であり、社会的地位が低かった。これからは十分鑑賞に堪えうる、件p音楽へと方向転換だ!
とまぁ、こんな感じです。
私なぞは臍曲がりなせいか、実用/件pの括り方を聞くと、英語を連想してしまいます。
学校英語と揶揄されている、教育の場で教えられてきた、社会的にあまり評判のよろしくない方面の英語って、実は英語圏の名作文学をテキストとしている物があります。何十年も前の文学作品の文章ですので今日的なコミュニケーションやビジネスの場では通用しないこともある件p英語なわけですが、即戦力として求められているのは「実用」英語の方ですね。
また英語圏の人の中には、日本人は古英語が達者な人が多く、名作がスラスラ読めていいなぁ、ブロークンな植民地英語、英語圏の現代っ子英語しか出来ない我々には読めない本をたくさん読んでいる、なんて羨望も、たまに聞かれます。
また実用音楽の地位が低いのかどうかって意見も、本当かどうか考えてみる必要があると思います。
なにせ演奏が主役ではないとは言え、大勢の人達に聴いて貰える場は確保出来るのですからね。
いまだに「吹奏楽をブラバンというのは〜」って言葉を駆逐出来ないのは、高校野球の吹奏楽を超える場を、件p志向の吹奏楽が作れないからでしょう。
実用音楽の力を利用することを考えればいいのに、敵対・無視して現実を見ようとしないから何も進まない。闘わなきゃ。(って、違うか(^^;))
つーか、実用音楽って、そんなに忌避すべきものかねぇ。
私の中の体制に順応する部分では、面白かったけどな。式典の時にクラスの連中とは別の場所にいられるのって、そんなには無いし。式典の主催者側にいられる誇らしさとか。
誰かのために演奏出来るってのも、それはそれで嬉しいし。
んで、行進曲に関しての某サイトを見ていてアレッ?と思ったのですが、
「行進曲にもいろいろな種類があり、吹奏楽や軍楽隊が演奏するのもあれば、オーケストラが演奏するものもあります。人を歩かせるもの、自分たちが歩くもの以外に、観賞用の行進曲もあります」
別に意見を言う程のこともない、普通の説明ではありますが、サイトを見ていても行進曲の良さは書かれていても、行進そのものの良さには触れられていなかったのです。
昨今目にする「ナンバ」という言葉を私が一番最初に知ったのは、講談社から出版された「身体の零度」という三浦雅士さんが書かれた本でして、
手にとってぱらぱら読んでいて、どこかに「行進する愉しみ」みたいな語句があったので買いました。
その中で、右手左足、左手右足の歩き方は日本人本来のものではなく矯正された歩き方であり、誰でも幼稚園や小学校低学年のときにこの歩き方の訓練をさせられたはずだという記述があり、大いに頷いたものです。
そのときの訓練行為が楽しかったか、きちんと右手左足、左手右足が出来るようになることが楽しかったかどうかは人それぞれでしょうが(私は楽しかったです)、その後の人生で、右手左足、左手右足が出来ていない人を見たときに違和感を感じない人はいなかったはずなんですよ。
(ちなみに「赤ちゃんは?生まれつき右手左足、左手右足では?」という人と以前会ったことがありますが、楽団に赤ちゃんを連れてきている人がいまして、その子の歩き方を見る分には「手足の連携は全く出来ていない」ように見えます)
うーん、行進行為は嫌いだけど行進曲は好き、なら、それはそれで一言書いてくれていれば何も違和感を感じないのですけどね。特に書かない人は実用の意味をどこまで考えているのかが非常に気になります。
自分が嫌いなのか、世間が見下しているのか、自分の目には世間が見下しているように見えるのか。