ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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こう、なのかなぁ。

私が初めて「ガラスの天井」という言葉に接したのは、

アメリカ大統領選挙をテーマにしたかわぐちかいじ著「イーグル」小学館刊のマンガです。

自由の国アメリカ、努力して能力を身に付ければ社会的成功は夢ではないという理想を信じ、懸命に努力をして成功の階段を登っていると、途中にガラスの天井がはまっていて、頂上へは絶対に行き着けない。

この物語はアメリカの政治が舞台なのでこの言葉を言ったのはトルコからの移民の人でして、権謀術数・権力闘争に躍起になっている人です。

この人の過去はさらっとしか説明されていませんが、自分の将来に希望は持っていたものの、どこかで挫折してしまったのでしょうか。

その後、実は「ガラスの天井」というのはアメリカだけの話しではなく、日本にもあることを知らされました。

佐野眞一著「東電OL殺人事件」新潮社刊でして、日本に於いて、マイノリティと女性には、まだまだ社会の圧力は強いようです。

出世街道というのは基本的に上下のベクトルで考えられていますけど、世の中には「横の出世」という考え方があるようでして、本業は本業としてしっかり勤めた上で、サイドビジネスや趣味の方向で自分の達成感を満足させる。

私が吹奏楽のことをあれこれ言っているのも本業ではありませんで、横方面なわけなんですけど、

吹奏楽のプロの人達って、社会的な名誉に対してどう思っているのでしょうか。

余計なお世話なんでしょうけど、気になる事例がいくつか、最近見えるようになりまして。

今の日本って、「心の糧としての件p」以前に、「件p家の世俗的な、しかしささやかな欲」をオープンに、大らかに認めることが出来る世の中なのでしょうか?

深見じゅん著「悪女」講談社刊に、初老の頑固な男性ビジネスマンが、主人公と接しているうちに

「女にも(出世)欲があるんだ」と、ごく自然に受け入れられるようになった瞬間が描かれておりまして、それまでの「女は出世なんて考えるものではない!」という社会の常識を振りかざしていた徹底した否定と対になる「自然さ」が表現されています。

その楽器の世界では、あるいは吹奏楽の世界では名を知られている演奏者が、社会的にはお世辞にも認められた、成功したとは言えない状態って、笑い飛ばすことは出来るものなのでしょうか。