演奏会の要素
市議会議員の新年会に行って思ったのですが。
クラシック音楽の人口を増やそうと考えたとき、CDの売り上げを上げることと演奏会に来る人の数を増やそうという、リスナーを増やすことと、
初心者から始めて演奏者を増やそうということは、全て別の努力が必要なのでしょうけど、今回は演奏会のこと。
演奏会に足を運ばない人の理由って、クラシック音楽に興味がないとか時間とか入場料の値段とか、理由はいくつも簡単に挙げられますが、
人混みが嫌いだから、なんて理由には手も足も出ないんですかね。
んで今日の新年会で感じたんですが、
演奏会のロビーが社交の場になっていることがよくありますが、
複数で行く人とか、楽閥とか学閥で顔見知りを見つけられる人って、
一人で行って、演奏が終わるとさっさと帰ってしまう人の気持ちって、解りますかね。
主催者によっては会場の販売ブースでCDとか買った人には、公演後にサイン会(握手の一つも有り)のチケット付けますってふうに、お客を会場に残すことを考える人もいますけど、そうはしないところも、ある。
旅行業界はずっと「一人旅」を嫌う風潮があったけど、最近は「おひとりさま」ってネーミングまでして鉱脈扱いするところが増えているけど、
演奏会は一人客を放ってはいやしないか。
知らない人にでも積極的に話しかけることの出来る人(それなりに理由はあるのだろうけど)→社交的な人と考えるならば、
プロ演奏家が社交の重要性を世の中に主張するってのは、ダメかねぇ。
パーティーの主人・ホスト意識があれば、つまらなそうにしている人を放っておくわけにはいかないでしょう。
演奏の質だけで満足しているって客は、実は演奏が終わった途端に現実に引き戻されていて、会場の設備の豪華さと、楽しそうに談笑している人達の存在はマイナスの要素になってないか。
仲間意識を見せつけられると、部外者は疎外感を味わうと思うよ。
今日の新年会、例年は立食パーティーだったのに、今回はテーブルの周りに椅子が置かれるようになりました。(笑)
それだけ出席者の高年齢化が進んだわけで。(笑)
私が同行者に、
「若いの、来ないんだねぇ」と話すと、
「30〜40代、子育てとかに忙しいんじゃないの?」
「でもさ、それは若いのが来たくない言い訳に子供を使ってるんじゃないの?若いのが本当に来たいと思ったら、ジジババどもに子供を押しつけて来るんじゃないの?」
「おぉ、そうなったらこの議員、地盤は安泰だね〜」
なんて話してましたけどね。
楽団が自身の恒例行事として、パーティーを開いてパーティー券を売る。
そこでは演奏者は演奏はしない。
(大きな)一室に大勢の人が集まっている状態に発生する非日常性のプラスの力を、どう御するか。
一人よりも大勢の方が良いこと、楽しいことも、あるでしょう?という、
人が大勢集まる場所に足を運ぶことで得られる楽しさという、価値観(需要)の開拓。