この帽子、ドイツんだ?
ライブドアvsフジテレビの攻防は落ち着いてしまったようで、外で見ていた人達の総括があちこちに書かれています。
んでまぁ私が考え方の参考に読んでおります橋本治氏の「広告批評」エッセイを読みました。
「会社は誰のものか?」という問いかけに対しての、一つの考え方を書いていまして、
私がそれを読んで、クラシック音楽的に思ったことです。
優れた曲を作る能力とか、優れた演奏をする能力って、一体誰のものなのでしょう?
もちろん、独立独歩でやっている人にとって、それらの能力、才能は、その人のものです。
しかし、この世の中には、
「クラシック音楽とは社会のもの、文化なのだから、行政はお金を出すべきだ」
と宣うている人達が、少なからずいるのですね。
「会社は誰のものか」とか「クラシック音楽(文化)は誰のものか」という問いかけって、
裏を返してみますと、
「この会社は俺のものだ」とか「このクラシック音楽(文化)は俺のものだ」と思ってる人って、誰なんでしょう?
「この会社は俺のものだ」と思ってる人なら、結構簡単に想像出来ます。
創始者であったり、オーナーであったり、経営者であったりします。
従業員は?
自分の才能を十分に発揮出来る人とか、会社から庇護されていると思っている人がそうでしょう。
一般のお客さんは?
その会社とかお店に要望を出して、通せる人は、規模が小さいながらも思っているんじゃないでしょうか。
「会社は株主のもの」の場合は微妙です。
持ち株数が少ない人は、株主総会で発言しても、単に発言させてもらえるだけで、かなり不満でしょう。
しかし株を全然持っていない人は、株主総会に参加することすら出来ないわけで、発言の機会すら無い。
大株主に比べれば所有感は小さいのですが、持っていない人には絶対に与えられない権利は、持っている。
微妙です。
それでは、「クラシック音楽は社会のもの」だからとお金を受けとっている楽団に対して
所有感を持っている人って、一般市民にどれだけいますかね?
運営に意見を言って「意見が通ったぞ!」と思える人。
選曲に(以下同文)。
楽員の雇用に(以下同文)等々、
なにかしら所有欲を満足させられれば「社会のもの、自分達のもの」とはっきりわかりますが、
どれだけいます?
クラシック音楽が社会から認められていない部分って、そういう「世間知らず」のところにあるんじゃないですかねぃ?
少なくとも私は、自分の住んでいる自治体、市や県の名前を冠している
「私の楽団!」とは、露程も思っていません。
だから公的資金が打ち切られて、楽団経営が苦しくなって潰れてしまったところで、屁とも思いません。
でもなー、払っている市民税や県民税や国税の何%かは、支払われているんだよなー。
何かの統計で、年末ジャンボ宝くじで一等が当たる確率って、私の住んでいる市の全人口分の一ってのを読んだことがある。
楽団が私の意見を採用してくれる確率は、それより低いんだよなー。
つーか、真っ当な意見だろうがとんでもない意見だろうが、募集しないし。(藁)
「会社は誰のもの?」って問いかけは、「会社は俺のもんだ」って人がいて、
その人に対して「違うだろ、○○のもんだろ」ってツッコミがあって、初めて存在します。
派閥争いだとか、権力闘争だとか、労使対立とか、住民運動とか、国の規制とか、いろいろ。
「クラシック音楽は誰のもの?」という問いかけって、お金を必要とする人達が言い出して、初めて存在するものでしょう。
納税者は緩衝的役割を担わされているわけで。
欺瞞だぁ。