最終目的
推理作家アガサ・クリスティーはエルキュール・ャAロという名探偵を創造し、ャAロ物としてはラス前だったかな?の作品「ビッグ4」という小説で、ジェームズ・ボンドばりの活劇を演じさせました。
その作中のクライマックスで、こんなフランスだかベルギーだかの諺を披露しました。
手元に本がないので正確なところは覚えていませんが、
「全ての人には値札が付いている」つまり「買収されない人間はいない」という諺です。
別に買収の手段はお金だけとは限りません。
弱みを握られたり大切な物を守るためだったり野心を刺激されたりと、圧涛I多数の人間はその人なりの理由で買収されるものらしいです。
吹奏楽の世界において、演奏や運営の動機が自分の郷愁を忘れないためとか、特定の誰かへのアピールだったりすることも皆無では無いでしょうに、そういうことはあまり聞くことはありません。
生きていくために、仕事としてこなさなければならない量が半端ではないこともあるでしょうし、自分だけの心に仕舞っておくものであって、他人に披露するものではないということもあるでしょう。
しかし、世間一般(会社社会)でよく言われている
経歴に傷がつかないようにとか、出世の妨げにならないようにとか、社会的な地位や名誉が欲しいとか、そういう理由だってあるはずで、日本の吹奏楽界に於ける立身出世の死闘なんてのもあるでしょうに、そういう世界を知られては困る人がいるのか、知らない人は一切無縁のお話し(動機)であります。
そして一方で大々的に言われているのが吹奏楽コンクールを中心とした
賞至上主義/お客さんのための演奏
という単純この上ない二分法であります。
この二分法の多さって、実はプロ演奏家はアマ演奏家に対して、吹奏楽ってのは現実離れしたファンタジーの世界でなきゃ困る表れなのかもしれません。
自分の最終目的を達成させるために、管楽器をどう使ったらいいのか。
演奏そのものの力でもよし、演奏してお金を経由してもよし、人を雇って大がかりな楽団を組織して手足のように使うもよし、
吹奏楽を演奏とか交友関係に使うだけではもったいない、自分の私利私欲のために使ってしまおうというある意味悪人の発想の方が、世の中を渡っていくのはたやすいですよ。(w
自分の利や欲を満足させるために、他人の利や欲を助けるというギブ&テイクの関係とか、
根拠があるのかないのか、演奏家善人説を見直してみるとか。
日本吹奏楽界にエルキュール・ャAロ級の才人はいるかもしれないけど、その才能の発揮の仕方は大っぴらにはしていませんなぁ。