ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

AutoPageが終了したので引っ越し

継続の本質とは

blog論をちらほら読んでいましたら、

「脅迫観念的に追いかけられるかの如く『毎日書かなければならぬ!』というのは、疲れます。

書き込むことがなければサッパリ休みましょう」

という感じのことが書いてありまして、読んだときは(まぁ、ねぇ)と思ったのですが、

吹奏楽で、というより集団活動でこの姿勢は、やっちゃイケマセンね。

じゃぁ、個人の、しかも市井の器楽演奏家はどうか。

別に構わない。

何故なら他人に関係ないから。

休み休みやったって他の人の“予定”を混乱させる接点が無い場合ね。

集団活動(合奏)に参加していない場合もそうだし、音楽教室の発表会のような、個人演奏が順繰り続くという意味での集団活動にも参加してない場合です。

しかし、楽器演奏の世界にそれなりに関わっている人ならば、市井の、個人演奏家でも、プロの先生にレッスンをしてもらって、腕を磨いている人がいないわけではないことは知ってるでしょう。

プロでもないのに自らに何事かを課して、毎日ではないにしろ定期的に・継続的に器楽演奏を続ける。

私は楽器は演奏の腕前で上を目指して定期的に吹くことは、やってません。ですからそういう人達の心理にはどんな種類があるのかを分別することは出来ませんが、blogを毎日書く心理なら、まぁ何となくはわかります。

自分の矜持として演奏の腕前を上げていくことと、自分の吹奏楽に関する意見や感情を電脳世界に書き続けることを両立させる人、いませんかね。

違う表現方法を結合させるためには、その人の“心”が何らかの接着剤にならないといけないのだけど、私を含めたたいていの人は、演奏は演奏、文章は文章と斥力の場になっているんだよね。

そして自分の持てる力を演奏一点に、という人は数多くいるけれど、「全ての英知を演奏に」という人は、どこを探せば見つかるんだろう。