ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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力を得れば得る程必要になることとか

聞く人が感じての演奏能力というのがあり、

聞く人の有無自体が関係のない演奏能力というものもある。

月は見る人が(美しい)と思って初めて美しいのか、

地球上に人間が一人もいなくなっても美しいのか。

聞く人がいようがいまいが関係のない音楽の凄さとは、ひょっとして技術的な精巧さの上に成立しているのだろうか。

テレビで映画「スパイダーマン」を見ていて思い出したのだけど、アメリカン・コミックのスーパーヒーローってのは、超人的な力を持ったばかりに日常生活を送ることが困難になった主人公の葛藤がテーマだとか。

演奏家が、自分の演奏に自信や誇りを持っていても世間が認めてくれない苦しみとか、演奏の腕前を維持・向上するために日常生活を(人によって程度が違うけど)犠牲にしないといけない葛藤ってのもあるはずなんだけど、まぁフィクションの物語と違って、制御に失敗したところで他人を傷つけることはない。

空想の物語の主人公は基本的に大きな力を得たり、敵の攻撃や衝撃に耐える力を得て闘うけど、「周囲の人を巻き込んではいけない」等のルールがあるから、

“力を得たからといって幸せになるとは限らない”“必ずしも善意でやった行為が他人に感謝されるとは限らない”とかの縛りがある。誤解のスパイラルとかもあるし。

それでも勧善懲悪な物語だから、主人公は葛藤を抱え、苦しみながら、大切な人の言葉や自分の心に従って行動し、幸運な結末に落ち着くわけだ。

演奏家が高度な演奏技術を身につけた段階って、空想物語の最初の方、「超人的なパワーを身につけた主人公」の段階にすぎず、演奏能力はその後に起こる苦しみや葛藤を乗り越える役には立たないんじゃないだろか。

またその延長線上に、集団的能力の向上を計ればはかるほど、必要とする周囲の理解は個人の場合を凌駕する、桁違いな努力をしないといけないのか?