吹奏楽の“あって欲しい姿”とは?
一般民間人にとって、
コンクール全国大会で金賞を受賞するような演奏も、
プロ楽団の(無茶苦茶お金がかけられている)演奏も、
近所の学校の吹奏楽部演奏も
全て等価。
“自分達の演奏”ではなく全体としての“吹奏楽”を語っている人達って、それらの位置関係ってどうあるべきだと思っているのだろう?
例えば「藝人とはかくあるべし」とか「職人とはかくあるべし」のような一般論・現代の規定で「演奏家とはかくあるべし」という意見は存在しない。
「クラシック音楽演奏家は」という一般論が昔あったが、戦後の演奏家達がよってたかって壊してしまった。
そして演奏家が現代人の規範となるような「公性(おおやけせい)」もない。
演奏行為は「私性(わたくしせい)」の範疇に入ってしまっている。
社会的影響力だって無いし。