ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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頭か尻尾かでぐるぐる

音楽の聞き手の目的は五感を研ぎ澄ますことなのか(そして“癒し”に通じるのとか)、

五感を研ぎ澄ますのは手段であって、発想や連想などが目的なのか。

例えば“行進曲”が好きか嫌いかという観点と、“行進曲”では(少なくとも接した瞬間は。だから“その”行進曲には)何の引っかかるものもなかったのかは、別な問題で、

従来はどんな文化にも、好き嫌いはともかくとして押さえておかないといけないというものがあったんだけど、もうそういう考え方が無くなってきたのは、いいことなのか悪いことなのか。

演奏家は聞き手に対して発想や連想を要求しているのかしら?

クラシック音楽は解らないという言葉は、認識処理のスピードが演奏のスピードに追いつけない状態を指していることがあると思っているのだけど、さらに聞きながら発想したり連想したりってのは、聴覚藝術の立場からすると不純なんじゃないかしら。

でも建前は「聞き方は人それぞれ」なのかなぁ。