ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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作詞家と作曲家

家庭用ゲーム機の技術の進歩で、メロディーが流れていただけだったのがサウンドとなり声が入るようになる。

作曲家はゲームのイメージに沿った曲を作り、作詞家はゲームのシナリオライターのセンスに沿った言葉を紡ぐようになる。

家庭用ゲーム機に作られたゲームは、相関関係は私には難しいけど、テレビアニメ、ドラマCD、そして小説の世界と交差して、世界観を持った大鰍ゥりな物語となり、そのうちにゲームがそれら既存のメディアに影響を及ぼすようになったりする。

作詞家と作曲家の中にはその興隆に乗り、大きな世界観を持ったうたを作る人たちも現れ、コミックマーケットなどで同人誌の隣で録音物を世に出すようになり、(たとえ一部の人たちにだけでも)成功:経済的なペイが見えてきたら公演をし、録音物もメジャーな会社から出すようになる。

そして発表の舞台はコミケ、店舗だけでに収まらず、現在ではファンの人が、あるいは編集の腕に覚えのある人たちがニコニコ動画などネットにアップしている。

日本の吹奏楽に携わっている者の中にも、その方面にアンテナを張っている者はいるだろうけど、名曲を見つけたとしても吹奏楽用に編曲したり著作権者と連絡を取って契約をしたりするには相応の能力が必要だし、吹奏楽団の仲間に演奏を提案したところで趣味性の高さがネックとなって賛成を得ることは、難しいだろう。

つまり、好きな者が個人的に接する(新)ジャンルであって、吹奏楽が組織的に提携を持つジャンルでは無さそうだということだ。

そしてもう一歩外に目を向けてみると、日本の吹奏楽作曲家(専門はいないだろうけど)が、歌謡曲でもなく、ロックでもジャズでもなく、ましてクラシックでもない、

「大きな世界観を背負ったうた」に、どれだけ目を向けているかも遠い課題なんだろう。

今バンドジャーナルで連載されている「日本の作曲家と吹奏楽」で採り上げられている存命中の作曲家で、いわゆる“アニソン”にアンテナ張ってる人、いるか?

いないとして、

この「吹奏楽の物語性の欠如」が曲の内側にも(曲の外側の)吹奏楽の定義の中にも見られる状態てのが、数年前、数十年前とは違った意味での「吹奏楽の閉鎖性」を強めてやしないかということなぞを考えてみる。

こゆのとか。

アイドルマスター 『沈んだ歌姫』 SoundHorizon」(ニコニコ動画