枷
課題を達成するための行動ってのは、何種類もある。
努力をする、というような力を貯めるパターンがあり、その力をどう解放するか。
「乗り越える」「打ち破る」「手を結ぶ」などなど。
吹奏楽の可能性に立ち塞がっているモノが、障害物なのか、階段なのか、距離なのか、線(心理的なもの)なのか、などなど。
私は演奏家としての努力を放棄しているから、高みに上ることはない。遠くに行く、集めるは、ある。
困難を乗り越えたり障害を打ち破ることはなさそう。扉を開けたり道を指し示すことは出来そう。
とはいっても、私も一時期は真面目な演奏家だったから、音楽とは演奏のことだ、と叩き込まれている人の事情も解らないではない。
だから、演奏家として課題を達成する手法を、吹奏楽を前に進ませる方法に採用させてしまう心理も、解らないではない。
だからこそ、限界という入れ物の中でいくら美を誇り磨こうが、出獄にはまるで関係が無いと言うはめになる。
音はそれ自体が“入れ物”なんだけど、その壁を押し広げることや、そこから解放されることが分野を社会に開放させることには繋がらないんだよなぁ。