ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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ファンタジーの親和性

screammachineさんのblog絶叫機械+絶望禁止のエントリ 「道のむこう」を読みまして。 最近は知りませんが、昔の吹奏楽てのは新入生を勧誘するときにピカピカの楽器とかきらびやかな音色・サウンドで耳目を惹きつけて入部させ、コンクールで頑張るなり各々の部活の伝統なりといった物語性に取り入れて「部を回していた」んだよなぁ。 しかしその物語性がコンクール一辺唐ェ忌避されたり、伝統というものが個人主義から敬遠されてきたりすると、そもそもpict:right歌を聴いて欲しいpict:leftという動機で始まったもんじゃない人にとっては引退と同時に楽器ともお別れという事態になることもある。 伝統の抑圧に嫌気がさして楽器と別れるんじゃなくて、結局は演奏行為が面白くないからというパターンなんだろうな。(曲は?) screammachineさんはpict:rightファンタジーの共有pict:leftという言葉を、産み出す側の視点で書いていると思うけど、吹奏楽は誰かに自分を魅了させて欲しいという視点だと思う。とうとう自分の全てを捧げられるナニかと出会えなかったからのお別れ。 もし将来、吹奏楽の軍隊性に目をつけて政治利用しようという勢力が現れて、私にその目的に沿った吹奏楽史編纂に協力を求めてきたとしたら、私はどう行動するのだろう?