何故いけないのか
「音楽は競争するものではない」という言葉を耳にして、つらつら考えたこと。
何故競争はよろしくないのか?
ひょっとして“同じ音”とか“揃った音”を出さないといけないからではないでしょか?
合奏てのは多くの人間のやることであるから、“違う音”が出るのは当然のこと。
そこを練習で“同じ音”にしなきゃいけないとか“揃う音”にしないといけなくて、競争するってのは考え方にもよるだろうけど、違っている状態での主導権争いになってしまうわけだ。
だから誰か(指揮者とかリーダー)を基準にして合わせるようにしないといけないのだけど、圧涛I多数の演奏家は「音楽は楽しむもの」という言葉を言うばかりで、「合わせないと“いけない”」という義務とか命令口調は、まず言わない。
あくまで奏者の自発性によるのか、あるいは権力性を出したくないのか不明。
だってさ、指揮者とかリーダーてのは、資質がいるのよ。現実に。
一過性の集まりとか、知らない者同士が集まっての第一回ならともかく、
永続を前提とした集まりだったら、実績とか納得力を刺激してくれる人でないと、演奏者は心の中で
「俺が合わせようとしないのはおめーが悪いからだ」と思いながら、決して合わせようとしなくなる。
音楽性の選択権は与えられないから、行動で参加するかしないかという次元でのみなんだな。
選挙の討論とか見ていると、吹奏楽でまず演奏会をやることが決まり、選曲が決まった後、指揮したい者が複数立候補して
「私ならこの曲はこんなふうに指揮する」という討論があるんだかないんだか。
討論だって支持を集める競争だ。しかしそういったことは、まず行われない。
決まったことには従わないといけない、という言葉と、決め方はどうしよう?という言葉は別物なんだけど、面唐ネことはやりたがならない人が集まるのが吹奏楽団てところか。
合わせてりゃいいんだってのは、楽だからね。競争も何のための競争なんだか。