ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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団伊玖磨氏の講義

1TBの外付けHDDを買ったので、'97年のNHK人間大学「日本人と西洋音楽」をHDDに落と…そうと思ったら、コンピューターのCPUが貧弱なのか、連続録画してたらコマ落ちが始まったため、休み休みに、一回目と二回目しか録画できませんでした。

まぁそれはともかく。

あらん、安土桃山時代に日本に註サオルガンがあったのかもって指摘がありますね。

宙苣ャ美 著「南蛮音楽 その光と影」音楽之友社刊で読んでいたのですが、この本は1998年の本です。有名な話しだったのか。

あとバテレン音楽が日本で普及しなかった理由をいくつか言っているのですが、最終的なキリシタン弾圧はともかくとして、石造りの神を賛美する荘厳な歌は、木と紙の建物で戯れ唄の国ではその魅力が剥ぎ取られてしまったのではないか、という指摘もありました。

そういえば戦前の行進曲論で「ヨーロッパは石造りの家、町の中を行進するからその反響が重視されるが、日本ではその反響がないから違うものに〜」って読みましたんでこのblog書きましたけど、団氏の指摘では反響のない場所では怒鳴るか、三味線のように激しい音でぱちっと弾くかで音楽が構造されるってありまして、

吹奏楽が無闇やたらに大きな音に偏っていることに苦言を呈している現在の作曲家が、じゃぁ現在の標準的な「練習場」の現実に目を向けているのかというと、見て見ぬふりをしているのではないかと。

私がピッチを合わせることに意義を見いだせなかったころって、そういう教育を受けていたこともあるんですが、ハーモニーに魅力を感じたことが無かったからなんですよ。

今ではピッチが合ったときの面白さは体得しましたが、それでもハーモニーの素晴らしい曲・演奏には長生淳氏の「レミニサンス」以外出会ったことがあっったかしら?覚えてないな。

そういえばハーモニーってタイミングもリズムも関係ないんですよね。で理想の状況下でのハーモニーを作る人はいても、実際のハーモニーから目を背けているのであれば、目的地は設定しても行き方が存在しないわけでして。

あと弦楽器は音を出すことと音を作ることが密接で、鍵盤楽器のそれはちょっと距離が離れている、みたいな。吹奏楽器の場合はャWションどこいら辺なんでしょうねー。

他の回を見直してみると、また発見があるかもしれません。この頃の人間大学って、テキストに載ってないことも言っていたような気もするし。