幕末の各藩の楽隊を調べていて思ったこと
自分が何某かに興味無い、理解(共感)出来ないてのは、好みの問題だったり環境、教育の問題だったりするだろうけど、
日本人という括りの大多数が興味無い、理解(共感)出来ないてのは、
別次元なんだろうか?同心円の半径距離の問題なんだろうか?
日本のクラシック音楽界は、主にオペラなんかが直撃しているんだろうけど、
“日本人は”オペラに理解が無いと嘆いている。
その議論の不毛なところは、
自分はクラシック音楽に興味を持っているけど大勢の人は興味を持ってくれない
という論獅ナあって、
興味を持たない人に興味を持ってもらうような状況にすることと、自分が興味を持たない分野を好きになるための努力は
何か因果関係があるんだろうか?
という問いかけにはならないことなんだよね。
演奏家は
「お客に快楽・快適を提供する」
という姿勢で、別に悪い事じゃないんだけど、それ以上の
「あなた自身が知らないあなたの一面を教えて差し上げます」
というアナウンスが無いんだよね。
けどそれを知っている人は、改めて言われなくても知っているわけで、
知っている人と知らない人のギャップが音楽の(演奏的本質ではなく)社会的本質の根幹になっているような気がする。
浮「話しとは接する人の背筋をゾクッとさせるからこそ“浮「話し”であって、ゾクッとさせないのは“不思議な話し”。
のように、聞く人の感性とか背筋とか人生に響く音楽と、それらには響かない、せいぜいが「あ、いいな」程度の音楽は、同じ音楽という括りには収まっても、全く別物なんだろうなぁ。