ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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マーケットとしての楽団、マーケットとしてのホール

意見の多様性を口にする人の中には、意思疎通をゴールに想定していない人がいる。

リンゴ一つにいくらの値段を付けるか、それは人それぞれなんだけど、商いが成立するためには価格の一致をみなければならない。

一致する人を見つけられなかった場合、値段を変えるとか、自分が付けた値段の理由を語るなどの、相手なり自分なりが変化することを前提とした努力や工夫が必要となる。

しかし楽団の中での演奏の方向を決めるときとか、ホールで主に入場料とか小さいところでは聴く体制作りなんかをテーマにして、一般商業のような意思疎通は行われていない。

勿論楽団が宝石のような美しい音を出すためにはカリスマに従うことのほうが有効なのかもしれないけど、その系統を継いでいる(とされている)楽団の圧涛I多数が社会に対して説得力を持った自己主張を出来ていないのは、そういう文化内での意見の擦り合わせが全く認められていないからなんじゃないかしら。

音楽ホールで「すいません、お金がないんでトイレ聡怩ナもなんでも働きますんで聴かせてください」という交渉がどこまで有効か、とか。