建国意識:文化人編
日本でクラシック音楽の評論をしている人達の物凄さというのを感じているので、私は吹奏楽に関して書くことはあっても、クラシック音楽の曲とか演奏については触れないようにしております。経営は別。
しかしここ数日頭から離れないことがあるんですが、なんで物凄いんでしょうか?
考えてみたんですけど、日本という国、日本人という集団は、古い物を平気で捨てて新しい物に飛びつく傾向がある、という一般論がありますが、明治時代初期はちょっと変わっていて、明治政府の首脳、役人、文化人達って、国を一から作る気概に溢れていて、文明開化という大勢の人達が見たことも聞いたこともない文化文明が流入してきたことと、リンクしたんじゃないでしょうか?
明治政府って徳川幕府とは全然違う形態を持ってきて、徴兵制度だったり学制だったり廃藩置県だったり、いろいろ。
憲法は作っても民主主義が不完全だったというマイナス要素を言う人がいるけど、まぁ徳川幕府とは全然違ったわけだ。
今の民主党政権がなんだかんだいって反自民党政権なんだという指摘があるけど、民主党政権がやっていることは権力や利益受給者の組み替えに過ぎなくて、なんか新しいことをやっているかというと、何もやってないわけですよ。
んで文化面を比較してみると、西洋音楽信奉者(上で書いた評論家達)って、新生国家大日本帝国の理論的指導者になりたかったんじゃないか?という気がしてきたんだけど、現代日本では政権交代が起こったところで演劇の平田オリザ氏が頑張っているくらいしか聞こえてこず、文化界では論壇がモゴモゴ動いている程度でしょう、
楽壇ってもう体制側というか、挑戦者気質を無くしてしまっていて、新しいことをやる連中が旧態依然の連中を一曹オようなんてこと、ないでしょう?
そういう意味で、クラシック音楽に携わっている連中って、もう凄くは無くなっちゃったんだろうな。
おっかないから書きますが、個々には物凄い人、いるでしょう。楽団経営でもイベント主催でも「じゃぁお前がやってみろ!」と言われたら、確かに難しい。しかし私が思ったことはそういうことではなく、もう国楽運動なんて起こらないんだろうな、みたいなことです。
民主党政権になっても別に日本国が一新されたわけでもない。平成維新とか坂本龍馬の名前を押し戴いている人達は、システムの頭に座りたいだけで、国を一から作り直す気概なんtねなくて、だから粛清も弾圧も、一揆も強訴も起こらないんだろうな。
そして演奏会は、今日も開かれる。
メデタシ、メデタシ
日本の楽壇をひっくり返して、自分が一からデザインしたい、世界のクラシック音楽の中枢をウィーンやパリではなく、東京(仮)にしたい!と思っている人、日本にどれくらいいるんだろ?