ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

AutoPageが終了したので引っ越し

「日本の吹奏楽」ではなく「日本的吹奏楽」

白石知雄氏の言う「日本的吹奏楽」という言葉がとても興味深いのですけどね、この文章を読んで気になったのが、日本で吹奏楽団を立ち上げようってときに、どれだけ「権力」が必要なんでしょうかね。

この「権力」てのは二通りあります。

学校なり軍隊なり、既成の集団の中に吹奏楽団を立ち上げる場合、これは誰しも知っているでしょう。これは説明がいらない。

もう一つの「権力」は、なんの組織も後ろ盾もないところに吹奏楽団を立ち上げようってときです。

圧涛I多数の市民バンドって、草創期は部活動吹奏楽のOBバンドが主体となるでしょ?その際の上下関係とか、運営のノウハウが部活動の手法からコピー&ペーストされて、これも誰もが知っていることでしょう。上の延長線。

そうでなくて、ロックバンドのスタートみたいな、「メンバー募集!当方ボーカル一名!」みたいな状態から、吹奏楽団てのは形作ることは出来るのでしょうか?

このケースを私が想像するに、その地域のボスというかボンボンでもいいんですが力を持っている人が、その力で人を集めるのだと、まぁ形にはなりそうです。

あるいは「権力」という厳ついものではなく、若旦那の道楽で「しょうがねぇなぁ、ちと一肌脱いでやっか」という、人柄に惹かれての参加とか。

あ、ほれ、映画「スウィングガールズ」で、自分から音楽室に足を運んだのは三人だけで、あとは補習を受けていた連中を脅して/補習組は補習組で、補習をサボれるかも?という動機でスタートしたではないですか。

これが欧米なら、「楽団やっぞー!」と声を挙げたら、「まぁちょっとやってみっか」と三々五々集まってくるイメージがあります。実際は日本同様難しいかもしんないけど。

けど、それが「その土地に音楽が根付いている」という一般論が成立するかしないかの境目のようが気がしましてね、日本的吹奏楽てのは、いくつかの意味での「権力」がないと、立ち上げることは非常に困難なような気がします。

これがプロだったら収入という要素が入りますし(利益が出ればね)、民間バンドでもい「世の中に役に立つ」とか「社会性を得る」みたいな、純粋な音楽動機以外の要素が入ってきて、でも実は、理由があれば意気に感じて手を貸してくれる人が結構いるのが日本だ、play:遊び目的での非営利参加は難しい、だと思うのですよ。

私のいた高校でも、先輩たちがOBバンド作るぞ!と少し動いてましたが、やっぱり集まりが悪くて自然消滅。これを「権力(力)」の不在と見るか、惹かれるものがなかったと見るか。

まぁ、日本に吹奏楽経験者の人口が何百万人いるんだか知りませんが、だからなんだっての。既存組織の力を一切借りないで楽団を立ち上げ、活動を軌道に乗せてから誇れ。

誰もがその楽団の名前をすぐ頭に浮かべられるようになるまでは、「日本的吹奏楽」でないと、スタートが恐ろしいほど困難で、活動が軌道に乗る前に胡散霧消してしまうと考えるべきでしょう。

あ、そうか、「求心力」の源泉がどこにあるか、音楽の中なのか外なのかということでいいのか。

pict:right「伝統の発明」ならぬ「伝統の再発明」pict:leftって、日本吹奏楽で言えば「アメリ吹奏楽視察旅行」と「フェネルが提唱したウィンド・アンサンブルの流布」かな?ギャルドの日本公演は知らね。