ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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三戸知章じゃPVは増えねぇんだよ!吹奏楽は!

古書店にて「共同版ブラスバンド楽​譜―NO6星条旗よ永​遠なれ」を発見。

注文したんですけど、Amazon Japanで検索してみたら、1957年に出されたものだそうで。

1957年かーと思いつつ、Amazon Japan書籍で著者名“三戸知章”で検索してみると、楽譜番号1の君が代行進曲が1959年だって。この情報は再版以降のでしょうね。

でもざっと三戸氏の関わった共同音楽出版の楽譜を見ていると、1956年から始まったのかなと思えるのですが、三戸知章氏と言えば以前にも音楽年鑑で見て

「さんのへともあき、ではないのね!みとともあき、なのね!」

と書いたことがありますが、あと

「月刊吹奏楽研究」という雑誌の主幹をやっておられまして、巻頭言を書いておられました…。

今私の手元にある「月刊吹奏楽研究」は、1956年10月号から1964年3月号までかな、

共同音楽出版から楽譜を出している時期が被ってるな…と思いまして雑誌を見てみましたら、この雑誌、奥付が無い…orz

しかぁし!

雑誌の裏表紙の左端に「第三種郵便認可」みたいな情報が載っているもんだ!と思って見てみましたら、

月刊 吹奏楽研究 第八七号

昭和三十九年三月十日発行 (毎月一回十日発行)

編集者兼発行者 三戸知章

発行所 東京都大田区北千束町七六一

月刊吹奏楽研究社電話(717)一二0七・八九0九番

(以下略)

と書かれていまして、

雑誌の中にある

「名曲バンド楽譜既刊一覧表」の、

共同音楽出版社の住所電話番号が月刊吹奏楽研究社と同じというか、子会社なのですな。

田邊吹奏楽器株式会社が自社の商品販売促進のため「バンドの友社」を立ち上げて雑誌「バンドの友」を発行して、

管楽研究會が「吹奏楽月報」とか出していたのはやっぱり日本管楽器株式会社で楽器販売普及が主目的かな、

どっちも楽譜を出しているけど、まぁ楽器を作ってる会社と関係が深いわけですわな、

でも共同音楽出版社は楽器作ってないよね?何か関係のある楽器製造会社ある?

んで、何が言いたいのかというと、今の音楽之友社は目黒三策氏が礎を築いて歴史が知られていて、田邊楽器もファンがいたり「バンドの友」を知ってる人はいる。

でも「月刊 吹奏楽研究」に詳しい人、います?

日本の吹奏楽人って、出版の歴史に興味持ってる人って、とても少なくありませんか?

目黒三策氏も野心と行動力に優れた人ですけど、没年月日知ってる人、います?

三戸知章氏の没年月日に至っては、知っている人は、さらに少ないでしょう?

全日本吹奏楽連盟四十年史」のなかで、目黒氏がバンドの友社を迷惑がってたことを書いていたり、バンドジャーナルに連載した自伝でバンドの友編集長の佐藤香津樹氏への確執を書いていましたが、実は某人から

「バンドジャーナルの創刊が昭和34年10月として、1959年、そのときはすでに月刊吹奏楽研究が出されていて、目黒さん、三戸さんにも思うところはあったらしいんだよね」

と聞いたことがあるんですよ。

本当ですかね。

そこいら辺の事情は秋山紀夫先生だったらリアルタイムで見ていたと思うのですが、秋山先生は生々しいエピソードを口にするかな。

その秋山先生だって日本財団笹川賞が作られるときにアドバイザーとして呼ばれるほどの大活躍というか「吹奏楽で事を起こすなら秋山さんを!」という感じだったんじゃないかなーという気がするのですが、そこら辺の歴史も目にすることができるんだかどうだか。

昨日(2013/08/24)のブロガーサミット2013「さぁ、自分を発信しよう」にて、ブログを書き続けるためには?という質問とか、どうしたら見に来る人を増やせますか?という質問なんかに、

「好きなことを、無理のないペースで発信しましょう」と答えてる人がいたんですけど、私のブログって、

いつの間にか興味を持ってる人が非常に少なくて、見に来る人も非常に少ないことを書くことが存在理由になっちゃってるんですね。

本サイトの趣獅ヘ「日本の吹奏楽を変えよう!」で、

ブログの趣獅焉uその具体的な考え方」で始まったのが、いつの間にか「本当は日本の吹奏楽人が知っておくべき知識」が見つかったら書く場所になっている…。

なんだかなぁ、「注目度を上げる、長く続ける」がブログ界での重要事項なんだったら、これでいいのかしら?という気がしないでもないです。