ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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吹奏楽は知の分野なのか?

最近テレビで池上彰氏が出ているのを見て、立花隆氏や荒俣宏氏は見なくなったなと思っているのですが、

荒俣宏0点主義 新しい知的生産の技術57講談社

を発見、購入。

…いやぁ、この内容に拠れば、私の所属していた吹奏楽団、ダメダメだよなぁ。

一つ一つダメの例を書いていっても「それはお前の所属した楽団のことだろ。それが大丈夫な楽団だってたくさんある」なんて言われたら悲しいから書かないけど、

pict:right点数は点の大小のことだが、点はいくら集めても点でしかない。しかし社会の知は面でできており、ひょっとすると立方でできあがっているかもしれないのだ。点を面に変える力こそが、点で表せない力なのである。この力は、さまざまな点をつなぎ合わせる力ともいえる。pict:leftP.75

点数の点は本当にこういう意味なのかは解りませんが、ぱっと考えてみるに、正解とか合格とか優良可をいくつ集めるか、その数を競って席を争うのが試験とかコンテストとかコンクールの一面なわけですけど、一般社会はその点を社会の活力に変えている。

しかし荒俣さんは、

��点�$狽ェあるのなら��線�$狽ニか��面�$狽ニか��体�$狽ェあってもいいんじゃないか、と気がつかせてくれるのですね。

しかし吹奏楽に於きましては、最上位が「いい演奏」、次が「上手い演奏」、で「売れる演奏」のトップ3があって、それ以外には私的な価値しか認めません。(ちなみに「いい楽譜」「上手い楽譜」「売れる楽譜」てものは認められないというか存在しませんね)

でもこれが吹奏楽の上位概念であるクラシック音楽になりますと、建築文化と結びついたり商業文化、録音技術、国家の威光とか余所の文化との接点がたくさんあるのですな。

クラシック音楽ではある意味「体数」の評価基準を付けられる人たちがいるけど、それでもクラシック音楽の構成員には「点数」しか認識できない人も大勢いる。

しかし吹奏楽では広義でも狭義でも「点数」の評価基準しか無い、これは痛い。

どうしたらいいか?はこの本を読んで各自が自分の経験を振り返ったり吹奏楽界の巨匠と言われている人たちの行動パターンを調べて崩してみるとかすると面白いと思います。

「勝つための HOW TO」、「0点主義の勉強法」は「見方を変えてみる WHY」 P.29

音楽はグループワークさせる機能を持つ P.73

点数の��点�≠ニは��・�=H��・�≠フ数?なら線数とか体数は? P.75

お手本の模倣と実物の写生の違い P.88

アウトプットは恥をかくほどいい P.108

pict:rightいわゆる啓蒙主義が広がるにつれて、ヨーロッパの人々の間で「批判力」に注目が集まることとなった。それ以前は、王が言ったことは絶対であり、批判することなど許されなかった。しかし、権力を批判し、さらに理性を活用して得る知識を中軸にして新たな提案をつくり上げる力が、権力に代わるものでないといけない。これを��コモンセンス�≠ニ呼んだ。

コモンセンスー常識という名の批判力である。pict:leftP.253