音楽や演劇の思想と絵画やマンガの思想
私は古い人間だと自覚しているから
「百回やっても出来なかったら千回やれ、千回やっても出来なかったら万回やれ!」
の思想に(自分では無理だぁ)とは思うけど、だからといって
「そんなこと言ってるから駄目なんだよ」
とは思わないんですよ。でこれってマンガ「ガラスの仮面」にもそんな言葉があったような気がして、音楽でも演劇でも
「本番中意識が飛んじゃって、気がついたら終わってた。みんな��凄かった!�≠ニ言ってくれた」
みたいなエピソードも聞く事があるんですが、これって繰り返し繰り返し練習とか稽古だかすることで、体に覚えさせていた、染み込ませていたということだと思っていたんですよ、
ところが最近、誰だか忘れたけどマンガ家さんが
「集中が途切れると、手が勝手に覚えた技術で描いている。描き終わってみてみると意識が入ってないぶん駄目な絵になっていて、やり直さなければいけなくなる」
という感じの事を書いていていまして、ありゃまぁと。
冷静に考えれば、基本的に記録が残らないというか、その一回性に賭けている本番の音楽や演劇と、物としての作品を作り上げて大勢に見てもらうアートとの違いなんでしょうが、
んじゃぁ意識が飛んじゃったけど周囲が褒めてくれた演奏や演技と、そのとききちんと集中できていたらの演奏や演技は、前者の方が優れていることもありうる、ということはありうるのでしょうか。
これは解らないな。
じゃぁハプニング物とかダダイズムを除いた絵画で、手が意識より先行して描いたものが集中を持続させて描いたものより優れていることはありえるのか。(つまりマンガ家さんとは逆の意見)