ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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物語の朗読

最近YouTubeで、個人が小説の朗読をやるのが流行っていて、面白そうだと思ってやってみたんですよ、ほしたら、自分でやってみなければ解らない事ってあるのですね。

吹奏楽と朗読の関係では、昔上岡龍太郎氏がオーケストラの演奏を見て

「役者は台本みながら演技なんかせんぞ。覚えんかい」と言ったことがあって、それに対して

クラシック音楽の演奏は演技ではなく朗読の範疇です。朗読なら台本見ながらやってもおかしくないでしょう」という人がいて、私も長年その認識でとどまっていたんですが(いわゆる��アップデートしてない�¥�態)、自分で朗読をやってみますと、

やっている多くの人たちって、いわゆる「七色の声色」を操って面白く語るのですね。

私は、自分の朗読イメージは筒井康隆氏や大和田伸也氏で、「一墨五彩」なんですよ。

「一墨五彩」といえば私が初めてブリティッシュ・ブラスを聞いたときの感想で、正式編成はサクソルン属のみの編成だからハーモニーは一種類しかない。そのはずなのに、一流のブリティッシュ・ブラスの楽壇は、その一種類しかないはずのハーモニーでものすごい世界を描いている、一方で吹奏楽はさまざまな音色があわさって多彩な世界を紡ぎ出すのですが、朗読もそんな感じなのかなぁと。

で、それでも朗読は一人から少人数で、朗読一人が作中人物一人(かける何人ということもありますが)なんですが、吹奏楽の場合は数人で一つの音になるようにしますよね、それが「七色の声色」が向いている人と「一墨五彩」が向いている人とでは、そもそも厳しいんだなと気がつきました。

いや、言ってた人はたぶんいたんだと思います。

けど広まってないというか、その言葉の意味が解って広める人がいないんだろうなぁと。

そっからして向き不向きの統一をしないといけないんでしょうが、人数不足で「とにかく人を集めないと」のところは難しいだろうし、そういう楽団が音質の統一まで気を回せるかというと、難しいんじゃないかなぁと。

朗読してる人って、別に声優を目指しているとか、声優から学ぶとも限らないのですね。