ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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山田耕筰

日本の、いわゆるアコースティックギターで叙情的な歌というイメージで言われているところの「フォーク」の歴史において、

12月24日 銀座フーテナニー・コンサート‘63

というイベントはターニング・ャCントの一つのようです。

そして

http://www2.shogo.com/love_peace/1963.htm

の一番下に

「主な出演者:セント・メ[ルズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズ、カントリー・フレッシュメン、

山田耕筰、真中勝子」

とあるのですが、山田耕筰

「赤とんぼ」とか「からたちの花」で有名な山田耕筰でしょうか?それとも同名異人でしょうか?よくわかりません。

しかし有名な山田耕筰氏の生没年を調べると、1965年没ですので、1963年はまだ御存命です。

んでgooで「山田耕筰 フォーク」で検索してみると、日本のフォーク歌手が山田耕筰の歌を歌うのは珍しくないようです。

じゃぁやはり本人が会場に来たのかなぁ。

でもフォークの歴史を書いた文章を読むと、GSブームや加山雄三氏の登場まで、アメリカの歌のコピーが主流だったって書いてありまして、日本の歌曲をフォークとして採り上げたかどうかは書いてないんですよね。

い:加山雄三氏は弾厚作ペンネームで作詞作曲をしていますが、このペンネーム、團伊玖磨山田耕筰から名前をとったそうです。

ろ:日本のスタンダードナンバーがジャズに採り上げられて、世界中で演奏されているのは「月の砂漠」一曲だけだ、と細野不二彦氏のマンガ「Blow Up!」に書かれていたのを思い出しました。

は:「山田耕筰 フォーク」で検索していたら、

http://www7.plala.or.jp/machikun/accent.htm

こゆページがヒットしました。

山田耕筰が日本語のアクセントと日本の歌のアクセントと一致させようと運動していたのは有名ですが、反面、サザンオールスターズ以前に「日本語の無国籍化」とでも言いますか、そういった流れもあったことを今日初めて知りました。

マンガでは「日本人は顔に関して欧米人にコンプレックスを持っているので、マンガに日本人を描く際、目を大きくしてバランスを変え、無国籍化した」というような議論が常識として語られています。

歌でもサザンオールスターズ以前にそういった感性があったなんて、読んだことなかったなぁ。

山田耕筰の偉業は偉業として、それ以外の方向の流れに注釈しない解説って、知識化で終わっているというか、山田耕筰の相対化をしていないというか、工夫が無いような気がします。

に:フォークが日本で根を下ろそうとしていた時期の商業音楽界の常識って、当然現在の常識とは違っています。

ですのでフォークが市民権を確固たる物にしていく過程って、今の常識が出来上がっていく過程でもあるわけです。

じゃぁ吹奏楽が市民権を強くしていくには、今の常識を変えなければいけないのではないかと。(笑)

日本の民謡を吹奏楽(作曲者)が独自に解釈して自分なりの曲として発表していたり、スタンダードナンバーを発表したりなんかは、随分やられています。それ以外の何かが足りないんだよ。(笑)

アコースティックギターサウンドが出せないからか、

フォークが生やしたような根っこがないのか。

吹奏楽はオーケストラに比べて機動性に富み、野外演奏に適している、という言葉はよく聞きますが、1960年代の学生運動の頃、学生達がギターを手にとって演奏したのは、吹奏楽よりも富んでいる機動性が原因だと思うのは、私だけでしょうか。(笑)あと(歌)声との親和性なんかどうだろう?)