ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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社会性というより時代性というべきか

しぃません、昨日書いた山田耕筰氏は、有名な山田耕筰氏とは別人みたいです。本には続きが書かれてました。:b

「主な出演者:セント・メ[ルズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズ、カントリー・フレッシュメン、山田耕筰、真中勝子。

このうちフォーク・ソング・グループは、

セント・メ[ルズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズの三組。

山田はブルースやハリー・ベラフォンテ、真中勝子はジョーン・バエズやバラッドなどを歌った。

カントリー・フレッシュメンはカントリーのバンドである」

だそうです。(_ _)

別人でしょう。

フォークの歴史の中で、「自分たちで作曲をしてもいいんだ!自分たちの言葉で歌ってもいいんだ!」という発想が登場するまでは、

「俺たちは好きになった歌を、格好いい歌を歌いたいんだ!」という純粋な情熱が『完コピ』を正当化していたとか。

それも(クラシック音楽と同列に扱ってはいけないのかもしれないけど)アメリカ人のサウンド、(反体制の)心意気などを、日本人が演奏しても別におかしくないんだよ、という、ある種の音楽末�の感覚だったとか。

クラシック音楽において演奏者の解釈よりも作曲家の言いたかったことを酌み取る演奏の方が重視されているのと重なる時期があったような感じを受けます。

'60年代に著作権を意識していたフォーク・シンガーはいなかった?

似たようなことが、戦前の喜劇芝居界の描写が小林信彦氏の小説「ぼくたちの好きな戦争」に描かれています。

チャップリンマルクス兄弟などのアメリカの喜劇役者のアイディアを、日本の喜劇役者は何一つ疑問を持たずにパクリます。

しかし、一番最初にパクッた者は、他の役者達に独占権を主張し、他の役者が扮装とかギャグを追随するのを厳しく禁じた。

アメリカの創造性は認めないのに、自分の独占権を主張する。

フォーク・シンガーも完コピには何一つ疑問を持たないのに、おそらく自分のオリジナリティが出てからは、それを真似される、盗まれることには腹を立てたんじゃないかな?

音楽自体は多くの人が同時多発的にレコードを手に入れ、横の繋がりが出来る前からみんな真似しようと努力していたから、「先真似権の独占」は主張出来なかったでしょう。

今と昔じゃ時代が違うと言われればそうなんだけど、それよりも、そういった日本人のメンタリティを考えずに独創性や著作権を議論するのは無茶なんじゃないかな?

よく一般論で、日本人は独創性が無い、という意見を聞きますが、無いと言うよりも独創の苦しみを知らない人が多いんじゃないかって問題なようなきがしますが。

吹奏楽で斬新なサウンド、聴く人に演奏者のオリジナリティを感じさせる解釈、奏法ってのも、独創につきものの試行錯誤とか産みの呻吟なんかの果てにしか存在しないと思うのですが、

吹奏楽的日常の中にあると思われる良さを掘り起こすことが現在の主流のような気がします。

(演奏のことですよ!作曲のことでは、ないですよ!)