真贋という考え方
骨董市を二つ廻って、古本屋街を探索しますと、さすがに疲れます。
骨董市を歩いているとき、どこぞのブースでお客さんが店員さんに
「真贋の見分け方って、どうやったらわかるんだろうねぃ」
と質問しているのが聞こえました。店員さん、
「やはり美術館などで本物をたくさん見るのがいいと思いますよ」
と、教科書的な返事をしてました。
骨董の本やテレビ番組などで散々言われている事です。
お客さんはそれを知らずに聞いたのか、知ってて話しかけの常套句として聞いたのか、それはわかりませんが。
その話しを聞いていて、私が吹奏楽を始めたばかりの時のことを思い出しました。
顧問の先生に
「どうやったら演奏が上手くなりますか?」と質問したら、
「いい演奏をたくさん聞くんだよ」と言われ、その先生お勧めの「いい演奏」が収録されているCDを結構聴きましたね。
でも…その後他の学校の演奏会を聴きに行って、楽しくないんですよ。
耳高手低になっちゃったんでしょうか。
でもすぐにMax Power Music路線にのめり込んでしまって、一般的な演奏会にはネタ拾い、じゃなくて曲探しのために行くようになりまして、個々の演奏ではなく、個々のフレーズに耳を澄ますようになりました。
目や耳を肥やす、という日本語がありますが、舌が肥えるってのは味覚が鋭くなる(input)っていう方向のことであって、自分の感じたことを上手く喋る(output)ではないんですよね。
目の前の物が本物か贋物か、今耳に聞こえいる演奏が素晴らしい物か酷い物か、そういう判断力を鍛えるほど、マイナス方面の批評(他の聴衆に向けての言葉)とか批判(作り手に向けての言葉)の仕方って、鍛えているのかしらん。批判力で相手を粉砕しようという意図は除いて。
最初は真贋、良し悪しの見極めが出来る力で自分を守ろうとして、いつのまにかその力で他人を口撃していることって、よくある話しです。
その力を身に付けたいと思っている人には、まず最初に、
『自分が他人を○○に満ちた顔で口汚く罵っている様子』を想像させて、
「そのことは良し悪しで計ることは出来ない。あーたの矜持の問題だかんね」っつー風に、効能・用法も前もって説明するほうがいいんじゃないかしら。