ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

AutoPageが終了したので引っ越し

大脳生理学

頭痛が和らいでからテレビを付けましたら、NHKの「ためしてガッテン」をやってました。

死者一万人!家庭内のうっかり事故徹底対策」という特集でした。

以前に演劇の平田オリザ氏の練習方法で、意識の集中と分散の両立というのを読みまして書いたような気がしますが、今回の番組では別方面から採り上げていました。

出演者の竜雷太氏が「『みえる』という言葉って、漢字では『見える』という漢字と注視『視』という字がある」と指摘していましたけど、

観世音菩薩の『観』は言いませんでした。本当は観音様って音を観る菩薩様じゃないみたいですんで、竜氏が触れなかったのはさすが?!

音楽やってる人なら『聞く』と『聴く』というの言葉の使い分けを自分なりにやってはいるでしょうけど、クラシック方面の人なら視覚のところで

「指揮者をみる」とか「楽譜をみる」は、『見』と『視』とのどっちを言うのでしょうね。

(自分の音をきく、という場合と、周囲の音をきく、という場合の使い分けは?あと、指揮者の言うことをきく、とか)

私は人文社会学系の本とか話しだけで、理工系や医学の方面は全然駄目なんですが、

今回の番組では意識の集中の度合いによって、脳の働きが違っているのが話されていました。

楽家は良い演奏をするために医学的な知識を使う人が現れるのと、

医学の処方の一つとして(認知症の改善のために)音楽の力、演奏の効用を使おうという人が現れるのと、どっちが先でしょうかね。