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(上から続く)
少なくとも日本では、教育を受けるとか、社会的に成長をするということは、
知っている人・出来る人がもてはやされる世の中です。
知識の有無、多少、正誤の、それぞれ前者(有多正)が選別され、
後者(無少誤)は成績〜社会的評価まで、嫌な評価を受ける事を
叩き込まれる社会です。
その仕組み自体には「感性」を存在理由にする人達は、ほとんど異議を
唱えていません。
(お客に対しては「出来なくても楽しめれば」とは言い、
役者を目指す者には「出来なければ話にならない」言いますが、
それとは別な方面から話しを続けます)
というのも、日本ではバブル景気崩壊後の景気低迷で大企業をゴールとする
学歴社会への疑問視や、オウム真理教事件での高学歴者達が起こした一連の
事件での学歴への疑問視などで、人生のルートとしての知識偏重は弱まりました。
しかし別方面での「知識特化社会」が始まっております。
一連の詐欺事件がその代表格で、人生設計における知識偏重の時代が始まりました。
法律に罰則規定が無い方面からお金を稼ぐ(だまし取る)人達は、
心情(感性)を根拠に国は国民の味方、企業はお客の味方と思い込んでいる個人をねらい打ちにしています。
知識があれば、防御策を講じるなり、逆に法律を使って攻める事が可能でしょうけど、
いまだに「どうしたらいいかわからない」「クーリングオフってどうすればいいの?」という人が山程いるから消費者相談センターは大賑わい。
罰則規定付きの法律が出来るまで、国も企業も被害者には何もしてくれません。
信頼があれば知らなくても大丈夫という時代は、もう終わったのです。
詐欺師達、デート商法や絵画商法のように「監禁」という手口を使う連中は
別ですが、弁舌だけで仕事をする人達のやり口も、
被害者が後になって冷静に考えれば(あれ?変だな)と思う事はあるそうです。
しかしその弁舌技術は、その疑問をも押し流してしまうとか。
役者の「お客を酔わせる感覚」の悪用といいますか、面目躍如といいますか。そして実は詐欺師の手口の一つも、役者の手口と同一だったりする。
>>だからみなさん、笑いたい時には抑えずに、最初から最後まで難しい顔で
>>鑑賞せずに、おおいに積極的に笑って楽しんで過ごしてくださいね
笑いたい人にはこの言葉は正しい。しかし笑えない人には?
舞台に満足出来なかったり、違和感を感じまくりの人は、どう行動したら
いいのかを言っていません。
公演中にブーイングしていいのか?席を立って出ていってもいいのか?
公演後「金返せ!」と詰め寄っていいのか?
自分の心には疑問が湧いたのだけど、みんなは別に何とも思っていないみたいだ。
他のお客の目を気にして行動すべきなのか、自分の思いに忠実な行動をとるべきか。
(まぁ波風を立てるのもナンだ、みんなと一緒でいいか)
何一つ問題はなく、公演は終了です。
「感性」で生計を立てている人は、
やり方を踏襲する人、やり方にコントロールされている人を必要としているのであり、
自分と対等の他者を必要とはしていない。
それが知識特化社会で日陰者扱いされる所以ではないかと思います。