日本人の美徳
吹奏楽に限らないんですけど、日本で楽器やってる人って、室内で音を出して
窓を開けている場合、近所の人から「うるせー!!」って怒鳴られて、
窓を閉めるのって、当たり前なんですよね。
でも昨今の「騒音おばさん逮捕」に代表される、音にまつわる隣人トラブルって
「うるせー!!」って言う側が本当に体調を崩したり、心に異変をきたしたり
するくらいでないと、警察や役所も何もしてくれないわけで、
言われたからって窓を閉めなくたって、かまわないはずなんですよね。
上前淳一郎氏の書いた「狂気 ピアノ殺人事件」文藝春秋社を探しています。
ネット古書検索では見つかりますが、古本屋に直接探しても意外に見つからなくて、買ってないんですけど、
音楽家が「俺の音(声)は、タダじゃ聞かせねぇ」と窓を閉めるのならともかく、
現在でも限定された場所以外では音楽は害だと、音楽家自身が思っているのでしょうか。
まぁ音楽家自身が外から聞こえてくる興味のない音楽・ノイズに悩まされて
いるから、我が音も他人にとっては悩みの種かな、と思っているのかも
知れませんが、自分こそが価値観の中心である、俺の音をそんじょそこらの音と一緒にするな!なんて独善的な音楽家って、いないんですかね。
ついでに書きますと、日本人って変なところで「モノを知らない」ことを
恥だと思っています。
吹奏楽では他ジャンルからの編曲されたモノを吹奏楽オリジナルだと思っているとか、
唱歌の多くが外国の民謡から旋律を“いただいた”のを知らずに、外国人に「日本の歌を歌います」と歌い出す人に、非難の目を向ける人達がいます。
しかし、じゃぁ外国人が日本の事を知らない場合は。
日本の側に知られようとの努力が足りないからだと、何とも思わないのですよね。
クイズ番組でタレントが「○○国はどこにあるか、白地図を指しなさい」と
言われて間違えて笑いになりますが、外国人に日本の場所を質問して
間違ったところを指しても、まぁ当然だな、って感覚でしょう。
「日本」という国号ですら「中国から見て東の方角の国」という
外国中心主義が有力な説とされている国です。
まぁそのことが悪いばかりではなく、良い面もあるのはわかりますが、
クラシック音楽の方で社会を(さらには欧米を)“敷居の高い、畏れ多い”存在と思っているのでは、いつまでたっても対等な関係にならないのではないかなぁ。