素質:優れた演奏家になるには
TBSテレビの「朝ズバ」とか「サンデーモーニング」見てますとね。
司会者がいて、ゲスト・コメンテーターがいて、さらにアシスタントがいるんですよね。
番組見てますと、アシスタントの女の子って、基本的に自分の意見を言うことが出来ないんです。アシスタントだって人間なんだから、ゲストの意見に反対なこともあるだろうに、ずっと黙っている。
ということは、テレビ局アシスタントの合格倍率なんかと考えてみると、自分の意見を言いたくて言いたくてたまらない状況になってもそこをグッと我慢するとか、そもそも自分の意見を持たない、もしくは偉くなるまで隠し通せるという素質を持っているのかなぁと。
んで、ジャズやロックの演奏家なら違うかも知れないけど、クラシック系演奏家って論理の飛躍とか連想とかって、得意じゃ拙いんじゃないでしょか?
だって本番中、過ぎたところでもっといい演奏の仕方に気がついたら素直に(次!)と思えるけど、先の部分で決めていたことよりもよい演奏の仕方に気づいてしまったら、それをやるのでしょうか?それともこの回は練習した通りに演奏するのでしょうか?それとも、
本番中にもっとよい演奏方法を思いつくこと自体が“よい”演奏家失格なのでしょうか。
そもそも楽譜を手にして、斬新な解釈とか新鮮な(?)奏法ならともかく、作曲家の指定を超えた演奏はダメなわけでしょう。
非常識なことをすればいいってもんじゃない、それはそうなんだけど、非常識でも合理的な行動なら成功率は上がる。
しかしクラシック音楽の世界ではその合理性の幅が狭くて、ほぼやり尽くされてしまったってのがあるんじゃないだろうか。
だから“演奏の”飛躍とか連想能力が枯渇して、“音楽観の”飛躍とか連想能力が持てなくなってしまったんじゃないでしょうか。