ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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加川力氏

日本初の民間吹奏楽団を「東京市中音楽隊」と書いている人がいますが、それは間違いのようです。

東京市中音楽会(會)」が正解。

また資料として堀内敬三の「ヂンタ以来」と「音楽五十年史」では記述の違う部分があります。

(「ヂンタ」の初版は昭和10年1月、「五十年史」の初版は昭和17年12月)

・「五十年史」では東京市中音楽会が明治19年に設立、明治20年から開業、株式会社化が明治21年と順を追って書いているのですが、「ヂンタ」では「株式会社東京市中音楽隊」が明治21年に出来た」といきなり始まってます。

加川力(つとむ)氏が中心となっていることは同じ。

・「五十年史」では明治22年末に海軍軍楽隊の満期退職者達が入社を断わられたため「東洋音楽会」を結成したとありますが、「ヂンタ」ではその確執が書かれていず、加川氏が世話をして「東洋音楽会」を作ったかのような記述です。

東京市中音楽会と東洋音楽会が合併して「東洋市中音楽会」となったのは同じ。

・「五十年史」ではまた確執がおこり、加川・リゼットが敗北して明治25年に神戸に移り、「神戸市中音楽会」を起こすとあるのですが、「ヂンタ」では確執には触れず、リゼッチが15名を率いて神戸へ、とあります。

「ヂンタ」の記述はこれで終了。

次は雑誌「ミュージック・マガジン」で細川周平氏が連載「日本の券\百年」の1989年12月号。

明治25年5月に加川・リゼットが“神戸音楽会”を結成している、とあります。

ちなみに"神戸音楽会"でググってみますと、

4月20日2面2段神戸音楽会(組織につき 村野山人 神戸音楽会

4月29日3面2段(欄外) 神戸音楽会開会式 神戸音楽会(頁は同じです)

5月3日3面5段 神戸音楽会の開会式 神戸音楽会

5月5日4面4段[広告](神戸音楽会創立につき)神戸音楽会(これも同じ頁)

5月6日4面3段[広告](神戸音楽会創立につき)神戸音楽会

9月6日1面5段音楽会の競争 神戸音楽会

9月13日4面3段神戸音楽会広告 神戸音楽会

9月18日3面4,5段川上芝居 弁天座 川上音二郎 神戸音楽会

という頁がヒットします。

んで細川氏明治27年に神戸にて神戸音楽会、市中音楽会、風琴楽会、神戸音楽倶楽部の名前を列挙してるんだなよなぁ。

「五十年史」も「ヂンタ」も神戸市中音楽会なんだよなぁ。こりゃまいった。

私の書き方だと神戸市中音楽会と神戸音楽会は違うぞ!と書かないといけないけど、さすがにそれは無理です。(^^;)

そして、明治28年に加川・リゼットが東京に戻ってきていると書いているのですね。

このときに結成されたのが「東京市中音楽隊」でありまして、広目屋お抱えの楽団であったようなんですよ。

だもんで「東京市中音楽隊」が日本初の民間吹奏楽団だ、という記述は間違いとなるのです。

さて、加川氏の活躍は終わりません。また『音楽五十年史」に戻りまして、

歌劇をやろう!と行動を始めるのですね。(第2章第3節1の中ごろにその記述があります)(音楽隊は辞めたのか両立しながらなのかは不明)

しかし協力者に「日本の大衆に歌劇はまだ早い、音楽劇でいこう」と言われ、その意見に従います。

東京でやりたかったけどできず、和歌山で明治29年10月下旬開演。お客の入りは良かったものの新聞に中傷され失敗、

明治30年に京都で開演し、またお客の入りは良かったものの当時の皇太后様不予のため、またも公演中止。

それで一座は解散したそうです。

これで堀内氏の著作から加川氏の名前は消えるのですが、ググッたらまた次がありました。

倉敷珈琲物語さん

岡山ドリルクラブ

です。

音楽好きの会合所を始め、コーヒーハウス第一号にもなったそうで。

行動力に富んだ人生ですな。