ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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沖縄県吹奏楽連盟

沖縄県吹奏楽連盟30年史を読んでるんですけどね。

まず、ページナンバー(ノンブル)が230まであるうち、

座談会一回目P31-92

座談会二回目P93-145

座談会三回目P146-168

座談会四回目P169-194で160余ページ、

データがP195-230で30余ページって、

この配分からしてもぉ…(^^;)

ちなみに座談会の前は貴賓の祝辞とか。

んでこの座談会が生々しい話しで、濃いんだ〜。読むの大変。(^^;)

吹奏楽部というものを父兄にどう理解してもらうかとか、楽器とか楽譜にまつわるお金の悩みとか、校長先生とかへの予算配分だのなんだの。

座談会自体は昭和57年で、沖縄県吹奏楽連盟の20周年のために行われたのですが、諸処の事情で30周年史になってしまったとか。

ちなみに…昭和57年の座談会といえば、1982年でありまして、昨日読みました「ブラバン」の主人公が高校3年生の頃ですな。

あと、沖縄の吹奏楽史の、特に太平洋戦争後つうのは、横須賀とか横浜とかとは別系統の米軍基地影響下なのですね。

ちなみに戦前の沖縄県吹奏楽史は、おそらく大正10(1921)年前後だと思うとの記述が沖縄県吹奏楽連盟初代理事長 渡久地政一氏が書いております。

pict:right那覇の東町に帝国館(大正3年1914設立)という活動写真館(映画館)があって、そこに属した小さいバンド(当時は楽隊といった)があった。pict:leftと映画館の楽隊から始まり、

pict:rightブラスバンドが誕生したのは多分大正10(1921)年頃で、10数名編成であったように覚えている。pict:leftと続きます。