ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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経営というより仕組み

一般的な浮「話しの構造てのは、物理法則に反する不合理とか、人間対人間の中に生じる不条理とかありますが、日本の吹奏楽世界の中に当て嵌めてみると、

「ろくに練習してないのに観客大喝采

という状況…かな?という気がします。

これが合奏じゃなくて個人のレベルだと、

「ろくに練習してないのに観客大喝采→凄い才能の持ち主」あるいは

「客にホンモノを聞く耳がなくて〜」

という図式が用意されているけど、合奏のレベルでコンクールとか定期演奏会だったら、練習量は保証されてるんじゃないかと。

もしそうであるならば、吹奏楽世界には社会一般の怪談のような浮「話しはありえても、吹奏楽世界の因果律の浮「話しとは発生しない仕組みになっているのかなぁ。

音楽と関係なかった人がある日突然凄い演奏をする、凄い曲を作って、そこから奇妙なことが起こるてのが一般的な“浮「話”だけど、演奏者の視点で見ればできあがった曲が本当に凄いものだったら作った人の過去とか(人格とか)なんて関係ないでしょう。そして全く楽器に触ったことのない者が生まれて初めて触った楽器で凄い演奏を始めたとしても、嫉妬の混じった人間模様が始まって、奇妙ではあっても浮ュはない。突然世の中から相手にされなくなるとか?なんか受け入れそう。吹奏楽世界の恐浮チて、どんなのがあるんだろ?

そんな吹奏楽文化の構造とか仕組みに根付いている経営、か。