ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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意外性

Yahoo動画で「イヴの時間」という作品を見ました。

pict:right未来、たぶん日本。ロボットが実用化されて久しく、アンドロイドが実用化されて間もない時代。ロボット倫理委員会の影響で、人々はそれを「家電」として扱うことが社会常識となっていた。高校生のリクオも幼少の頃からの教育によってアンドロイドを人間視することはなく、便利な道具として利用していた。あるときリクオは、自家用アンドロイドのサミィの行動記録のなかに奇妙な言葉が含まれていることに気付く。pict:left

物語は主人公が家政アンドロイドの行動履歴を見たところ命令外の記録があったために不審に思うところから始まります。

物語自体はとても素晴らしいのですがそれは割愛しまして、

吹奏楽団の演奏会パンフレットを可能な限り集めて読んだとしまして、何か違和感を感じることというのは有り得るものでしょうか?

私が散々懐疑的に指摘している「吹奏楽の可能性」という言葉、意味は演奏の質の向上だと思うのですよ、プログラムに意外性を組み込むことは不可能なんじゃないかしら?

もう一つ懐疑的に指摘している「吹奏楽はどんなジャンルの曲でも演奏できる」という言葉がありますが、逆に言えばどんなジャンルの曲をやろうが、どんな企画を取り入れようが、もうそれはパターンに組み込まれていまして、お客に意外性とか意表を突かれたと思わせることは、出来ないのではないかと。

とてつもなく高度な技術で作られたロボットに意思が生まれることはあるのだろうか、という指摘から物語が作られることはありますし、歯車とゼンマイだけで作られた機械にでも意思が生まれる物語は存在します。

しかし吹奏楽のプログラム(選曲とか企画)に、物語に成り得る意図を忍び込ませることは、出来るのかなぁ。

もちろんパターンの範囲内であったり、サプライズの成功例は数限りなくあるでしょうけど、魅力の再確認であって新しい可能性では無いと思うのですね。

企画立案の才能と、演奏それ自体の良さを引き出す才能が完全に分離しているのか?