細胞の一つ一つに
アスリートとかボディビルダーの人達は、体や身体能力を鍛えるとき、該当部位とか筋の一本一本に意識を集中するという話しを聞きました。
吹奏楽の曲を身体に例えてみると、細胞の一つ一つ=音符休符の一つ一つに意識を集中し、バランスや連携を意識する人もいるでしょうけど、一方で
「そんな細かいとこまで考えてられない。メニューをこなしてさえいれば、そこそこ身につくでしょ」
という人も、いるでしょう。
別にどっちがいいとか悪いとかは明記しませんが、それよりも問題は、
「やっているよ」という人のレベルでしょうな。
無闇矢鱈にやっている人もいるでしょうし、やり方を見つけて、あるいは教えられてやっている人もいるでしょうし、その境目は自分のやり方を見つけられた人にしか見分けられないっぽい。
他人の方法、意見を知りたくもない人もいるだろうし。
音符の一つ一つに自分のサイン(刻印)とか意思、意図を込める人と、
やっているつもりでも“自分の”ではなく陳腐な結果になっている人、
一つ一つではなく塊にやっている人、さまざまだろうけど、
吹奏楽の世界にそれらを言い分ける言葉は存在しないはず。