ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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批判

今の時代の日本クラシック音楽界(管弦楽)に斉藤秀雄批判が無いのはおかしい!と思う私なのでありますが、日本の吹奏楽界にフェネル批判が無い!と提起してみますと、さすがに躊躇するものがあります。

しかしフェネル個人の責任と言うよりはフェネルが言い出したと「される」wind ensembleという概念が多くの人の頭脳や口を介して現在に至り、その結果がフェネルの名の下に還元されている以上、実際はwind ensebleを都合良く解釈している連中の引き起こした弊害も、フェネルが象徴となって個人名を冠されて批判の題名にされるべきなのかなぁ、と思うわけであります。(wind ensembleの概念はフェネル以外にも提唱した人がいるという意見があります)

先日セルパンとギターとリコーダーの三重奏の演奏を聞きに行きましてね、セルパンの音とはこういうものなのかと聞いていたんですが、現代の日本吹奏楽(海外では知らね)でセルパンは使われておりません。

で、前に私が、ユーフォは大きくて重いのでバリトンにしようかと思い、当時在籍していた指揮者に言ってみたんですよ。

ほしたら一時考えて

バリトンの固い音かぁ…ちょっといらないなぁ…」と断られまして。

あくまで私の都合でバリトンにしようかと思っていたのに、合奏の中の音質で断られてしまったわけですな。

他の指揮者や作曲家がバリトンを使わない理由がその指揮者と同じ意見なのかどうかはしりません。(英国式金管バンドは除く)

まさか、まさかバリトンの音を知らないから使わないんだ、という理由ではないはずですが、うむ、やっぱり吹奏楽バリトンは馴染まないか。

バリトンだけでなく、アルトもヘリコンも、セルパンですら吹奏楽サウンドには合わないんでしょうね。

サウンドのことを言われて却下されることには私は反論する術を持たないから黙るしかないのですが、でも以前

ブラバンとは何でもありの編成で、吹奏楽とは指定された編成」

という意見の人がいて、

ブラバン吹奏楽が並立しない現在って、吹奏楽って指定された編成転じて排除の編成になってんじゃないかと感じるわけですよ。

そのきっかけがフェネルの提唱したwind ensembleで、フェネルは別に上を目指しただけで下部構造を切り離す意図は無かったと思いたいのですが、それを自分なりに解釈した連中が使い回した結果現代なりの“標準編成”概念が力を持ってしまい、排除の音楽に、と。

いや、音質だけでなくピッチも難しい楽器なんだよ、みたいな理由があって、自分の得手不得手の自覚がある人には、批判をすることはないですけど、試みだの挑戦をしない人は、ねぇ…。

別にやって結果が思わしくなかったとしても、死ぬわけじゃないのに。