ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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町おこし議論から

togetterやはてなダイアリー

「地方で一家につき車を三台も四台も持っているのは贅沢だ!」とか

「デパートの進出が地方を没落させたのはデマ」という話題があって

読んだり書いたりしまして、

私は思考が3クッション4クッション経た結果、

「地方や田舎の没落の原因は、売り手がライフスタイルの提案ができないからだ」

という結果に落ち着きました。

吹奏楽やってる人たちって、いい演奏をすること、コンクールで勝つことを二大目標として頑張っておりますが、

吹奏楽文化を担う、支える演奏者や聴衆に、

「この演奏が日常生活をどう潤すのか」のモデルケースを考えないといけないのではと思う今日この頃です。

その第一歩として、

「できることを行動原理の中核にしているから、

できないだろうけどやりたいことを優先させる尖った姿勢とか、

やりたいことを成就させるための練習法の模索(まだ確立まではいかない)という取り組む姿勢の幅広さ」を見せつけることが出来ないんじゃないか、と。

昔の書き込みを見直してみて、自分でも忘れてしまって意味が解らなくなっているのがあるんですけど、今回も「3クッション4クッション」書かないと、将来忘れてしまうんだろうなぁと思います。

とりあえず「思い出せるかキーワード」として、

画廊とファッション雑貨屋と陶器店とか文房具店の違いとか、

資本の論理と広告代理店の手法違い、

売店の変化は流通システムの変化も伴わないと成立しないんじゃないか?

で大丈夫かな?

映画やドラマで話題になって、一時吹奏楽がブームになるのって、演奏それ自体より人間関係や登場人物の心理描写でしょ。

いいな、と思って吹奏楽部入ったって、あれは幻想、ドラマだったか、と現実を思い知らされて、ブームは終息する。

映画やドラマを作る人の「吹奏楽を軸にしたライフスタイル(生活?人生?)の提案」であり、吹奏楽人の提案ではないわけで。