バンドジャーナルは後発雑誌…
バンドジャーナルを発刊した目黒三策氏は当然として、相談を受けた人たちって、おそらく戦前戦中の吹奏楽雑誌とか、月間吹奏楽研究とかは、ご存じですよね…?
白石知雄氏のエントリ
「吹奏楽の民主化」
を読んだ後に吹奏楽研究と、私の手元にある一番古いバンドジャーナルを読んでみましたら、実は雑誌の作り方が違うことに気がつきました。
「吹奏楽研究」は、戦前の「バンドの友」とか「吹奏楽」と同じ作り方で、意見や感想の原稿は、有識者に依頼しているんですけど、バンドジャーナルはアマチュアにも依頼しているのですよ。
バンドジャーナル創刊号は別として、手元にある一番古いのが昭和35年(1960年)8月号なんですが、
巻頭言
・吹奏楽を育てる町 松下哲
特集 スメ[ツとバンド
・ファンファーレの一方向 栂野勝夫
・ファンファーレについて 広岡淑生
・都市対抗野球とバンド 小泉誠次
・六大学野球とバンド 工藤正敏
・応援と吹奏楽の歩み 萩原庸禎
・応援における校歌のアレンジ 辻井市太郎
サキソフォンの調整と手入 坂口新
外国吹奏楽団の紹介(11) 赤松文治
演奏会を終えて 高橋たかし
<陸軍軍楽隊のむかしばなし>
・対談 伊藤隆一・秋山紀夫
大阪市音楽団第一回特別演奏会の成功を讃え、その苦心を聞く
・菅野圀太郎・山口貞・矢野清・鈴木鋳j・得津武史・葛生本治・宮本晋三郎・辻井市太郎・藤田日出太郎・村瀬源史郎
吹奏楽法 楽器論 第11回 深海善次
その他
で、
栂野勝夫 富山高校OB楽友会員
小泉誠次 大昭和製紙楽団部指揮者
工藤正敏 慶應義塾大学OB
萩原庸禎 法政大学講師
高橋たかし 横浜市立潮田中学校
葛生本治 大阪市音楽団OB
藤田日出太郎 大阪市音楽団 庶務係長
村瀬源史郎 大阪市音楽団 演奏係長
の人たちは、日本の吹奏楽的にはアマチュアと言っていいのではないでしょうか?
で、これ以降もこういう肩書きの人たちに、ページを任せていったんですよ。
(得津武史氏は…今では大御所として知られているけど、当時はどうだったのかな?)
で、バンドジャーナルは学校の部活動を率いる教職員とか指導者をターゲットにしているということは間違いとは思わないけど、有識者だけでなく市井の吹奏楽人にもページを任せて、語る言葉を持ってもらおうって“民主化”は念頭に無かったかしら?
目黒氏、「バンドの友」や「吹奏楽」の最後は国家による統制での終了だったけど、販売部数はどうだったのか、「月刊吹奏楽研究」をライバル視して、その販売部数や弱点は考えなかっただろうか?
昔のお笑い番組「8時だョ!全員集合」に対抗するために横澤彪氏がスタッフと綿密な構成を練って「オレたちひょうきん族」で立ち向かった、なんてそこまでは考えすぎかな。
でもそう考えると、丸山明夫氏や得津氏のような人たちって、吹奏楽の民主化の象徴なのかしら?バンドジャーナルが無くても全国大会で名を馳せたでしょうけど、どういう人物なのか、どんな指導法なのかとかは、雑誌がないと広まらないでしょ。