ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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吹奏楽の本質と販売、その主観と客観2/2

敢えて現代吹奏楽曲の新曲を出してみましょう。一番最近の饗宴の一曲。

普段吹奏楽なんて接点のない若者がいきなり曲を聞かされて、楽譜を見せられて、何か言えると思いますか?(吹奏楽経験者なら何か言えるだろう、というツッコミには、じゃぁあなたの周囲の演奏家で「広告代理店を・コピーライターを目指すぞ!」と頑張ってる人が何人いるか、見回してみてください。いたら、すいません)

まぁそれなりに書くでしょう。文言書きとして何の訓練も受けていない、素人としてしか感性を磨いていない、それでも頑張って書くでしょう。

この時点で彼らに対比させるものは何か。

吹奏楽関係者の「パンフレットの曲目紹介文」です。(吹奏楽の本質の主観)

パンフレットの曲目紹介文を書く人は、文言書きとしては素人です。別にプロも目指していません。

彼は作曲者の経歴を知っています。周囲の人と相談しながら書けます。何をやっているかパート事を知ることもできます。

立場は文言書きのプロを目指す人たちよりは格段に有利です。

では文言書きのプロを目指すとば口にいる人たちはどうするか?

まず聞いたまま感じたことを書きますわな。

でここからは私の想像ですが、自分が今までに聞いたブラバンを持ち出して、その比較を書くのではないでしょうか?(吹奏楽の本質の客観)

高校野球の応援演奏とかパレード演奏と違う世界がここにある!という方向のこと。

ここで両者に決定的に違うことは、最初に課題として言われた

「この曲を売るための文言を考えろ」

です。

パンフレットの曲目紹介を読んで「この曲(CDでも楽譜でも)、欲しい!」と思う人って、吹奏楽史上どれだけいたんでしょう?(まぁこういう理由で書いた人もいないとおもいますけど)

しかしとば口に立った者の文言は、未熟でしょう、読んだ人が「欲しい!」と思うものではないでしょう、しかし、彼の中に可能性は植えられます。

じゃぁ糸井重里さんとか橋本治さんのような、当代一流のコピーライターにお金を積んで文言を考えてもらった場合、クラシック音楽雑誌の吹奏楽欄にCD紹介を書いている人と比べてどうか?

わかりません。

しかしクラシック音楽雑誌の吹奏楽欄にCD紹介の文章を書いている人がどんな文章を書いているかは解ります。読めます。

しかし今現在書いている人の文章を云々するのはコワいので、昔の人…秋山紀夫先生は現役か…赤松文治先生にご登場願おう、赤松先生の書いた曲紹介読んで、CD買おうと思いますか?楽譜を入手しようと思いますか?楽譜を探していたら先生の文章を見つけて買う方法が解ったというのはナシですよ。

じゃぁ糸井重里さんが書いたらどうなるか。う〜む、読んでみたい。

ここで、じゃぁ糸井重里さんにお金を積んで書いてもらおうという人が私も含めて今後でてくるか?その可能性と、

じゃぁ吹奏楽の偉い人が文言書いて、普段吹奏楽に興味を持ってない人にも「この曲欲しいな」と思わせる文章が生まれるか?その可能性と、

広告代理店・コピーライターの世界の入り口に立つ人に書いてもらえる可能性と、

演奏会パンフレットの曲目紹介で普段吹奏楽に興味を持ってない人が「この曲欲しいな」と思わせる文章が書かれる可能性。

この四つの可能性を高い順に並べると、どんな順番になるか。

まぁここまでは思考実験で、実際大物コピーライターに書いてもらったって、その一回で終わるんじゃ仕方がない、また一回の演奏会で終わらせたらイベントとしても広がらなくて意味がないわけで、戦略も立てないといけないんですけどね。

ちゃんとそこまでやったら、昨日書いた「壁を壊す」になるんですけどね。