ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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軍楽隊がちょびっと浮上

吹奏楽のことを念頭におかずに世界史に関連している本を読んでいるときに、軍楽隊の記述があると嬉しくなってしまいます。

鹿島茂「怪帝ナャ激Iン3世」講談社という本は、ナャ激Iン3世とフランス第二帝政についての本です。

私は高校生の時から世界史には興味があったんですが、ナャ激Iン3世についての記述って、最後は「普仏戦争セダンの戦いで捕虜となる」で

終わっちゃうんですよね。

ナャ激Iン3世捕虜となった後、どうなっちゃったんだろう?となんとなく不思議に思っていたんですが、

フランス帝国を守るために健康を損ねているのに皇帝自ら出陣するのですが、いろいろと心労が祟って白旗を揚げ、捕虜になった。

プロイセンのヴィルヘルム1世はナャ激Iン3世のやつれた姿見ると同情し、それなりの厚遇を与えた。

いよいよナャ激Iン3世の去就が決まり、イギリスに亡命することとなった。居住していた城から退去したとき、プロイセン軍楽隊が第二帝政のテーマ曲、「シリアへの出発」を演奏した。

とあります。

ググって見ると、この「シリアへの出発」という曲、第二帝政下のフランス国家というサイトもあります。

そしてたまたま偶然なんですが、この本を読んだその日、

「日独友好の歴史」というページ

ttp://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/gulfwar_02_03.html

で、第一次世界大戦で日本がドイツ軍捕虜を日本の収容所に連れてきた際の記述で、

日本の捕虜収容所内で楽団を作る許可を与えたって内容が書かれていまして、平時を基準とすると変則的な編成なんでしょうけど、それでも「軍楽隊」と表記しております。

ベートーベンの第九・日本初演がこのときのドイツ人捕虜の演奏だということはまえまえから知ってましたが、軍楽隊員が中核となって結成された楽団だってのは、言われてみればもっともなんですが、「まえまえから知っていた」本にはそんな事書かれてなかったような気がする。

もちろん100%軍人というわけではなく、中国の青島にいたドイツ民間人もとっつかまって捕虜となり連れてこられて、その中の音楽好きもいたとは思いますけどね。

普仏戦争のエピソード1870年ヴィルヘルム1世の治下、第九日本初演のエピソードは1918年でヴィルヘルム2世の治下。

プロイセン軍楽隊からドイツ帝国軍楽隊へと、違う楽団だと言えば違う楽団ですし、同じ流れだと言えば同じ流れだとも言えるでしょう。(^^;)

各国軍楽隊史の本、誰か詳しいのを書いてくれないかな。