ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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それはそれ、これはこれ(お客の良し悪しの境目)

お昼にテレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」再放送見ていましたら、

今は亡き池田満寿夫氏が東京件p大学を三度受験して三度とも失敗して云々という紹介があり、

気がついたことがあります。

池田氏は四度目の受験をしたのかどうか知りませんし、活躍されて以降は「(件p)大学卒」の肩書きが

有った方が良いと思ったのか、有っても無くてもどっちでもいいと思ったのかも私は知りませんが、

件pと大学制度の関係について、歴史的に有名な件p家が「(件p)大学卒」の肩書きを持っているか?とか、

今現在歴史的に有名な件p家と同じくらいの才能を持っている人間が、大学入試で認められるか?という言葉を聞くことがあります。

音楽でもっと身近なところで、コンクール。

「俺たちは審査員に気に入って貰えるような演奏なんか考えていない。(コンクールといえども)お客さんに気に入って貰える演奏をするんだ」

という言葉を、これはよ〜く聞きます。

こういった言葉を言う人も、別な場所でまともに頭が働く人ならば「それはそれ、これはこれ」と思うのでしょうが、

試験官や審査員から固有名詞を剥ぎ取っている扱いなんですよね。

発言の時と場所が変われば、試験官や審査員だって見識や判断力を持つ一人の人間であり、

誰かの師匠であることもあるでしょうし、優れた能力や功績を持っているかもしれない。

しかし時と場合によってはそういった人達をノッペラボーな仮面を被っている、否定すべきものの象徴として想定する。

なるほど、件p家(このサイト・blogでは音楽関係者)は制服組よりも私服組を一段下に見ることがまかり通っているな。

舞台の上で制服なり衣装を着ている人は、そこまで強く象徴として扱われることはないでしょう。

(んで審査される側が落とされたときは否定しても、受かったときには否定しないでしょう。

自分を認める評価を下す試験官・審査員は良い試験官・審査員で、

自分を認めない試験官・審査員は悪い試験官・審査員か?(笑)

ならばその人が「お客さんのために」というばあいのお客さんって、

自分を認める評価を下すお客さんだけを必要としているのかしらん)