ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

AutoPageが終了したので引っ越し

視点の位置

今までに何度か書いていることだと思いますが、

十五年ぐらい前、パソコン通信で知り合った人に教えてもらったことなんですが、

「日本は世界的に経済大国と言われているけど、日本よりも経済力の弱い中国(中華人民共和国の方です)の方がアジアの大国と言われて、国際情勢の中でかなりの主導権を握っている。

その理由の一つを考えたんだけど、日本は英語を学ぶときってアメリカの生活習慣を題材に学ぶ。

ジャックが学校に行きましたとかメアリーが買い物に行きましたとか。

しかし中国は最初から、中国共産党の素晴らしさを英語で表現するような教育を受けている。

この差が世界に向けての自国文化発信の差になっているんじゃないかなぁ」

まぁ現在の中国経済の発展は凄いモノがありますが、この話を聞いたのは昔です。

ふーんと思って聞いていて、折に触れて思い出すんですけどね。

今日本屋さんに行きましたら、新書でクラシック音楽入門の新刊が出ていたんですよ。帯に「のだめカンタービレ」のコマが書かれていて。

手にとって見てみると、ごく普通のクラシック音楽入門の本なんですよね。

で上記の意見を思い出しまして。

日本って、未だにクラシック音楽は素晴らしいものであり、お客はその素晴らしさを享受するという位置づけなんでしょうね。

でもさ、「のだめ」のヒットした理由って、それ関係ないじゃん?

音楽大学に通っている、世間一般の人から「件p家の卵」と見られている人達だって気障なエリートなんかではなく、みんな世間一般の人と似たような悩みを持っていたり、主人公は確かに才能を持っているけど奇行とか才人ゆえの悩みなどを身近な物として面白がっていいんだというギャップがあったから受けたんでしょう。

おたんこナース」みたいなものというか。

第一、紙からは音楽は聞こえてきません。

紙の中で演奏している設定の曲を知ってる人は思い出すかも知れませんし、

曲を知らなくて、読者それぞれが自分の頭に漠然と抱いている“すごい感”が触発されているとか

純粋に画力に惹き付けられているとかいろいろあるでしょうが、

紙から音楽が聞こえてくる人なんて、この世には存在しません。

読む人それぞれのワクワクドキドキ感(感性でいいのかな?)が結集した要がクラシック音楽をテーマにしたマンガであるのに、

クラシック音楽は素晴らしい物だから皆さん楽しみましょうってテーマの本に使用するなんて、

講談社にとって(決して著者ではない)「のだめ」はクラシックファンの入口、客寄せなんですね。

んで実は寄席の世界では、噺を聞かせるために客の注意をひき小屋に呼び寄せる藝を“色物”と言ったりするらしいのですけど、「のだめ」は色物かい。

まぁそれはともかく、日本は二十一世紀になってもう何年も経つのに、未だにクラシック音楽とは享受する対象であって、世間一般の人達が自分の力を発露するツールでは無いのですね。

まぁ「こんなときにはこのクラシック音楽を聴こう」類の本は何冊も出ていますけど、日常生活を彩る方法としてのクラシック音楽の民間使用法は、作り方が解らない(作る必要を感じていない)のか作り方は解っているけど売れる予想が立たないから作らないのか、どっちでしょうね。

パソコン通信・インターネットが発達した現在、売れない物は作らないというスタンスは商業主義等一分野に相対化されてしまっているわけだけど。

知ってる人は一言、「ググれ」としか思わないだろうなぁ。(^^;)

でもキーワードがわからないのですよ。(^^;)