ぽかぁんとしてしまうこと:Hatena版

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母校大学の文化祭に行って気がついた

流石現代日本の総合大学、私がこのblogに書くのが減った理由が置いてありました。

読んでけば誰だって解ることですが、他分野の思考パターンを拝借して、吹奏楽に充てはめているわけですが、それって広義の“模倣”に過ぎないのですね。

そりゃ私のオリジナルが一つも無いとまでは思いたくありませんが、主な書き込みが結局は模倣で、それを何年も続けていたら、駄目人間なわけですわな。

なんとなく感じていて書き込みが激減していたけど、言葉になっちゃった以上、もう潮時かな。

技術の向上だの模倣の上限いっぱいまで行っちゃってので、

「じゃぁあなたのやりたいこと、オリジナルは?」という問いに直面するのは、

日本クラシック音楽界に生きている者には当たり前のことですよねー。

どうしたもんかな…って、突破できないなら閉めるしかないかな。

私が大学に入学し、最初のガイダンスで、とても美人な女子学生がいました。Sさん。

誰もが落ちると思っていたのに入学できた私は、調子に乗っていたというか人生の絶頂期だったというか、勢いに乗って取れる講義は取れるだけ取りまして、その2/3ほどの講義はそのSさんと一緒になりました。別に狙って講義を取ったわけではありません。

それで、Sさんが如何に頭がいいかということと、如何に男どもに囲まれる人かというのを目の当たりにすることになったわけです。

あぁこりゃ狙っても駄目だと。

私より頭の良いやつ、イケメンの奴、話しの上手い奴等々、とてもじゃないけど私が敵いっこない奴らに囲まれているわけで、手が届きません。

また私の勝手な思い込みではありますが、第二外国語は、頭の良い人はロシア語、穴狙いはスペイン語、お洒落な者は人はフランス語、お調子者はイタリア語、で変わり者が中国語、と思っていたんですよ。昭和一桁生まれの父親の影響か、共産主義の国でも中国を選ぶ奴は就職で落とされるという思いがあって。当然私は中国語を選択。

で、Sさんはロシア語。周囲の男どももロシア語を取ったのが多くて。

でまぁ私は吹奏楽部に入って、いわゆる吹奏学部生活まっしぐら、Sさんにはのめり込まないですむ学生生活を送ることになりました…。

んで私は留年。みんなとは離ればなれの学生生活に。

そして私が四回生になって、冬の何月だったかな、四年生になったSさんに、ばったり会ったのですよ。

一、二年の頃は、そりゃ話しなんて全くしなかったけど、顔は合わせていたし、話しをしなかった分だけ迷惑もかけなかったしで、Sさんも「あら、元気?」と気軽に話しかけてくれたんです。

一言二言は何を話したか忘れましたが、

「私、この学科の女子生徒、嫌いなのよね。ファッションの話ししかしなくて」

と言われたことには驚きました。

「本当は工学部に行きたかったんだけど、高校の時の担任の先生が『お前は英語が出来るからこの学科に行け』って言って、ここしか受けさせてくれなかったのよ」

「私の家って工場をやっていて、私と結婚する人は工場を継がなければいけない。けどそんな男の人、いないでしょうしね」

…私は留年して将来なんて何の道筋も見えない身、冗談でも「俺が継ごうかな」なんてことは言えません。

そしたらその場に、Sさんが所属しているサークル『ロケット工学研究会』の後輩が現れて「先輩、こんにちは」。

途端にSさんが私・同輩に見せていた顔・していた口調から、一気に先輩の顔と口調になってちょっと話し始め、

(わぁ、こういう面もあるんだ)と新鮮な驚きを感じました。

で、その後輩もすぐ去って、私とも「それじゃあね」と別れました。

それからちょっとして、実は留年していた他の女子生徒二人(A、B)とばったり会い、

「こないだSさんに会ったよ」と言ったら、Aさんは「へぇ」と言ったけど、Bさんは誰のことか解らなかったようで「Sさん?誰?」と聞いたら、Aさん

「ほら、いたじゃない、いつも男ども周囲に侍らせていた人!」

…なるほど、そう見てましたか。

それから半年ほどして私が就職活動で落ちまくっていた時期、忘れもしない秋葉原で、黒スーツの集団とすれ違ったら、Sさんがいたのですよ。

Sさんも私に気がついて、お!という顔をしましたが、話が出来る雰囲気でもないため、お互い別方向に歩いていきました。

そして今日。

大学の文化祭に行ったのは、何年ぶりかな?

吹奏楽部は頑張っていましたよ。

特に目的もなく歩いていたら、

「航空宇宙学科公認 学生ロケットプロジェクト」の看板を発見。

いや〜な予感がしましたが、入ってみました。

すぐ説明の学生が来て活動の解説をしてくれました。

大学当局、学部学科、有志の活動で、手作りのロケットを作って打ち上げる活動をしているとのこと。

真剣にやっていて、実績もあって、凄いことやってんだな〜てことは解るのですが、

「昔『ロケット工学研究会』というサークルがあったんですけど、今でもあります?その系統ですか?」と質問したら、

「いや〜そのサークルは知りません、今は無いんじゃないかな」とのお返事。

そりゃロケットを打ち上げようてサークルが、一つの大学に二つも三つもあるわけないよな…。

「じゃあ、私は○年に入学して、(留年しなければ)×年に卒業したんだけど、×年のときの最先端ロケット技術って、どう活かされているのですか?」と質問したら、

まぁロケット工学の流れも一つではないのかもしれないけど、

「×年の技術はこの(展示されている)ロケットには全く入っていません。せいぜいペンシルロケットの時代じゃないかなぁ。いや、そういう積み重ねもあってこその現在なんですけど」と、きちんとフォローも忘れず。

…あぁ、Sさんが頑張ったサークルは、無くなっちゃったんだぁ…。そう考えてみると、吹奏楽部が続いている事って、凄いことなんだなぁ…。

いや、「学生ロケットプロジェクト」の積み重ねていることだって、凄いことですよ。他の大学の学生(?)ロケット技術者とも交流を積み重ね、情報を共有し、きちんと夢を現実のものにしようという気概と実力はあるんですから。『ロケット工学研究会』が無くなっちゃったのは、「学生ロケットプロジェクト」の責任じゃぁない。少子化でサークル活動が維持出来なくなったんだろうなぁ…と思いつつ学内を歩いてたら、あれ!他のサークルも見つけることが出来ないのがちらほらある!そっちはそっちで頑張ってた奴がいるんだが…。

Sさんの名字は覚えているけど、下の名前は忘れちゃった。

陽子さん、だったような気がしないでもないけど。

元気でいて欲しいな。